2020.08.27
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おもしろくない算数(発問研究 Vol.8)

先日、ラジオからふと流れてきた言葉にわたしはビリビリきた。

「お前はどうしたい? 返事はいらない」

今をときめくミュージシャン米津玄師の「感電」の歌詞の一部。
タイアップしているドラマを見たことはまだないし、歌詞理解に詳しいわけでもない。とりわけ、熱狂的なファンでもない。そんなわたしになぜか響くこの言葉。なぜだろう?

夏の日の午後、米津玄師の言葉にふれて、おもしろくない算数の授業を思い出した話である。

高知県公立小学校 森 寛暁

先生、それじゃあ、おもしろくないっ!

授業中、目の前の子どもに言われたことがあるだろうか。
まっすぐな目で、「先生、それじゃあおもしろくないっ!」と。しかも、教師が工夫して問題提示を行った直後に──。

4年生の算数、2位数÷1位数のわり算の筆算の学習。十の位と一の位にそれぞれ商が立つ場面で、「たてる→かける→ひく→おろす」の手順をスムーズに踏めるようにすることが主なねらい。次の筆算の間違いを探しましょう、という問題が教科書によく出るところである。

おもしろくないやりとり

おもしろくない一連のやりとりはこうだ。
 教師:ダウトを探せ!と問題提示を行う。
   「間違いがあったらダウト!って言ってね」と伝え、黒板に筆算をゆっくり間を取りながら書き始める。
 A子 :「先生、それじゃあおもしろくないっ!もっとおもしろくして!」
 教師:数秒の沈黙(心中穏やかでない)
 A子 :鉛筆を指に挟みながら、教師を見ている。
 教師:「そうだね。じゃあ、どうしたらもっとおもしろくなると思う?」
    (心中穏やかでない)
 A子 :「先生が紙に筆算を書いて、それをいっぱい作る。そして教室のいろんな場所に貼る。その紙をみんなが探し回ったらどう?」
 教師:数秒の沈黙(困惑と少しの安堵)
 子どもたち:うずうず
 教師:「よしわかった。じゃあ、先生に準備する時間を少しちょうだい。先生もおもしろそうだと思ったから、やってみよう。だから、ちょっと待って」
 子どもたち:「うん!いいよ」
 教師:大急ぎで5種類の筆算を紙に書く。
    とっさにスパイスを1枚いれようと思い立つ。
    ダウト3枚、正答1枚、スパイス1枚(未習内容)の完成。教壇、移動黒板、ロッカーなど教室のいたるところに貼る。
 子どもたち:おそらく雑談。
    (何をしていたのかよく把握できていなかったため詳細は不明である)
 教師:「OK、準備できたよ」
活動開始。

おもしろさの羽を伸ばす

この一連のやりとりをどのように解釈できるだろうか。発問を軸に解釈してみると少し物足りなさを感じるだろう。発問というよりは、子どもと教師のやりとり・応答。または、予期せぬ子どもの反応への教師の対応。苦し紛れに言わせてもらえば、「じゃあ、どうしたらもっとおもしろくなると思う?」とA子に直接言ったことが問い返し発問か。

当のわたしとしては、子どもにおもしろくないと言われ正直おもしろくなかった。しかし、そのおもしろくない気持ちを子どものおもしろさに合わせてみた。なんとか。すると、その先におもしろさの羽を伸ばした子どもたちの姿があった。これは事実。

気になる筆算の前で地べたに座って話し合う子の姿。悩み立ち止まる子に後ろからそっと指をさしながら答える子の姿。ノート片手に一人黙々と筆算を追う子の姿。必死に正しい筆算に直そうとする子の姿。それらはわたしが見たかった景色。それを生み出したのは、「先生、それじゃあおもしろくないっ!」の言葉。子どもの一言。これも事実。

小さな火が山火事に

意図せぬところまで広がってしまい、聞きたくない人の耳にまで届いてしまうことがある。そんなようなことを「Lemon」が爆発的にヒットした後、彼が言っていたように記憶している。子どもの心に火をつける発問がしたい、そう強く迷いなく願ってやまなかった自分の思いが少し変わっていく。ちょっと大げさかな。

「教室を 探し回るのも 悪くはないでしょう」

森 寛暁(もり ひろあき)

高知県公立小学校
まっすぐ、やわらかく。教室に・授業に子どもの笑顔を取り戻そう。

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