2019.09.06
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学校で自己肯定感が育まれるわけない!

刺激的なタイトルをつけてゴメンナサイ。でも言いたい!
※この記事では、自己肯定感、自尊感情、セルフエスティーム等の概念を自己肯定感と表現しています。

東京都板橋区立徳丸小学校教諭  カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)  特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事 林 真未

自己肯定感を育む……?

教師は、自己肯定感を育むプラスのストロークを子どもにたくさん与えることが大事なんだそうです。校内研究の報告書などにも「自己肯定感を育むために」というような文言をよく見かけます。

自己肯定感を育む……?

たしかに、ファミリーライフエデュケーターの勉強でもストレングスベースドアプローチ(強みに注目するやり方)が有効と習いましたし、「子どもにプラスのストロークを」というところまでは了解できるのですが、それによって「自己肯定感を育む」とまで言われちゃうと、私はどうしても、違和感から逃れられません。

だって、学校と自己肯定感って、相容れないものでしょう?

学校は、言ってみれば、子どもの訓練所。
つまり、学校という存在自体が「子どもは、そのままではいけない」「もっと力をつけなければいけない」と主張している場所です。

一方、自己肯定感というのは、そのままでいい、ありのままでいいということ。つまり、生きてるだけでいいわけでしょ?

「もっとうまく」「もっとつよく」「もっとよく」「もっとたかく」……と、とにかく「もっと」を要求し続けている学校が、右手にそれを持ちながら、左手で「ありのままでいいよ」って、おかしくないですか?

自己肯定感を高める……?

私がそうわめいていると、

「いやいや、ちがうんだ、学校で自己肯定感を、というのは、その子の善くできたところを認めることを言うんだよ。「できる」「わかる」という感覚が、自己肯定感を高めるんだよ」

と、親切な先生方が諭してくださいます。

でも、私はぜんぜん納得できません。

もう一回聞きますけど、自己肯定感って、条件付きじゃないですよね?
自己肯定感を持つっていうのは、命を持った存在が、とにかくそのままの状態を認めているってことですよね?

例えば、赤ちゃん。
赤ちゃんはなにもできなくても、自分が生きていることを全面的に肯定しています。
あれが自己肯定感のイメージ。

だから私は、むしろ、自己肯定感は生まれたときには潤沢に持っていて、成長するにつれて損なわれていくものではないかと思っています(もちろん損なわれ方に個人差はあるでしょうが……)。

だから修復することはあっても、高めるものではないと思うのです。

自己肯定感を修復する……?

「じゃあ、わかった。学校で自己肯定感を修復すると言えばいいんだね」

優しい先生方は、またそう言って諭してくれます。

ごめんなさい。ちがうんです。

修復だって、できるわけない。

だって、学校は「そのままでいい」って言ってないもん。いつだって、「もっとよくなれ」って言ってるもん。

自己肯定感を修復するには、なにもできなくても、いるだけでいいとか、あなたがいてくれるだけでうれしいとかいうメッセージを繰り返し与えられることが必要なのに。

もしも、学校で自己肯定感が修復されることがあるとすれば、それは意識されない人間的なつながりの中で偶然起きるもの。

先生と子どもだったり、子ども同士だったり、そんなふれあいの中で修復されることは大いにあると思います。

でも、それは個人の資質によるところが大きく、だから、家庭でも、地域でも、あるいはもっとちがうふれあいの中でも、起こりえるもの。
学校が、意図して起こせるものではないと思うのです。

自己肯定感じゃなくて自己効力感/自己有用感

……学校で高めているのは、自己肯定感ではなく自己効力感や自己有用感ではないですか?

自己効力感/有用感というのは、自分に力があるとか、自分が役に立っているとか、自分はできるとか、そういう感覚のこと。そしてそれは、なにかを経験したり、人から教わったり、仲間と行動したりすることで身につくもの。

これこそ、まさに学校の出番ですよね。

学校は、とにかく、学ぶ機会をたくさん用意しています。そのなかで、「できる」「わかる」だけでなく、「うまくいかないけどやってみる」とか「できないけどおもしろかった」「いっしょにやったらがんばれた」など、さまざまな体験をすることで、子どもは自己効力感/有用感を育んでいく。

自己肯定感同様、自己効力感/有用感は、人が生きていくために大切な大切な力。そして学校はそれに寄与していく。

これなら私もスッキリ納得です。

自己肯定感と自己効力感/有用感の関係

自己肯定感と、自己効力感/有用感は、根と花の関係に似ています。

根をしっかりはっている木は、幹をすくすくと伸ばし、枝葉も花もたくさんつける。大風に倒れても、またすぐ新しい芽をふいて育ち始める。

貧しい根の木は、肥料をたっぷりやってなんとか幹と枝葉を伸ばし、花を咲かせても、大風に倒れたらしおれてしまうかもしれない。

けれど、土に隠れて根は見えない。綺麗な花は誰の目にも鮮やか。

だからつい、土の様子に思いを馳せず、目の前の綺麗な花に夢中になってしまう。けれど、自己肯定感が危ういと、自己効力感/有用感をどんなに立派に育てても、それは砂上の楼閣。

それなのに、土を忘れて花ばかりを見ている人は、思っているよりずっと多いような気がしています。育てているほうも、育てられているほうも。

ほんとうにだいじなのは根っこです。
根っこ、すなわち自己肯定感が満ちていれば、自己効力感/有用感を高めたいという欲求は、自然に生まれます。2、3歳くらいの子どもの、あらゆることに挑戦し、成長しようとするパワーを想像してください。あの感じです。

そして、そんな子どもたちの成長欲求に応えるのが、本来的には、学校の姿だと思っています。

子どもたちの成長への思いが強ければ強いほど、学校が「もっとうまく」「もっとつよく」「もっとよく」「もっとたかく」……と要求することは、むしろ彼らにとって快感です。
学校の「もっと」「もっと」にどんどんと応えていくことが、自分自身の自己効力感/有用感の向上に直に繋がっていくのですから。


ただ、今は、子どもたちの「成長したい」という思いよりも、学校の(家庭の)「成長させたい」という思いのほうが上回ってしまっている気はします……。

林 真未(はやし まみ)

東京都板橋区立徳丸小学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事
家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著者「困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡」(東京シューレ出版)
https://flejapan.com/

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