2006.03.21
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地震発生、そのとき学校は(第3回)

昨年から中断していた「地震発生、そのとき学校は」第三弾。今回は避難生活についてお話しします。地震発生から24~48時間程度がたつと状況も落ち着き、いよいよ避難生活が始まります。しかし、この避難生活、準備を怠っていると、さまざまな苦難が待ち受けているのです。

先月、ある小学校で、不法侵入訓練をしてきましたが、いろいろと教訓を得ました。実際に修羅場になると人間はそう簡単に動けなくなります。ぜひ、多くの学校で現実に即した訓練をしていただきたいと思います。
それにしても疲れました……。

さて、今回は中断していた「地震発生、そのとき学校は」第三弾です。今回は避難生活についてお話ししたいと思います。地震発生から24~48時間程度が経つと状況が落ち着いてきて避難生活が始まります。学校の体育館は避難生活の中心地になることでしょう。阪神大震災でも新潟大地震でも学校は避難生活の中心になっていました。

さて、この避難生活、いうまでもなく楽なものではありません。学校の体育館は多くの人が避難してきて足の踏み場も無いような状況です。また、支援体制が整っていない状況下では食料や水が届かないかも知れません。

避難生活の問題点はいろいろあります。まずは食糧の問題。新潟の大地震の際にいくつかの避難所で困ったことが発生しました。それは備蓄物資に乳幼児用のミルクや離乳食が無かったこと。赤ん坊を抱えたお母さんにはつらい状況になります。また、災害食はカロリーが高いため糖尿病の方は大変苦労されたそうです。

また、食事をすれば出てくるものがあります。トイレは阪神、新潟ともに大変苦労した問題です。多くの人が避難した学校のトイレを使うことになります。しかし水洗のトイレの水は流れません。阪神大震災ではトイレの悪臭が、避難している体育館まで流れてきて大変なことになったところもありました。

食料や排泄だけではありません。女性の方は女性の方独自の問題も抱えます。備蓄品には生理用品など女性が生活上必要とするものが入っていないことが多いのです。コンビニが開いていてすぐに買える状況ならいいのですが災害の場合そうもいきません。これらも問題になってきます。

そのほかにも避難生活が長引くと知らない人同士が一緒に生活し、しかも狭いのですからいろいろとプライバシーの問題などが出てきます。阪神大震災の時、独身女性の方がこの問題のために危険な家に帰ったという話もあります。

このほかにも避難所生活にはいろいろな問題が出てきます。阪神大震災から早くも11年。過去の出来事として捉えるのではなく、次に降りかかるのは私かも知れないという気持ちでぜひ振り返っていただきたいと思います。
災害の時によく言われるのが「事前に準備していた者だけが楽な生活ができる」です。災害だけではなく山登りなどでもいえるのですが、自然を相手にする場合どれだけ準備をしていたかでその後の生活の苦労度が大きく変わってきます。ぜひ、ご自宅の避難物資を見直してみてください。え、準備していない? ぜひ、準備してください。災害が来たときに準備しておけばよかったでは洒落になりませんよ。

(イラスト:じえじ)

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