2011.10.04
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』 巨大パワーを操る人間の心の在り方

今回は、アメコミ・ヒーローものでありながら現代社会に警告を放つ『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』です。

もやしっ子から筋骨隆々のスーパーソルジャーへ変身

世界的不況、地震、原発問題……。2011年は様々なことが起こり、様々なことが発覚した。今、多くの日本人は漠然とした不安感を抱いているのではないだろうか。同時に確実に広がっているのが不信感。明らかに人災と呼ぶにふさわしい事故も多かったからだ。アメリカから始まった世界的不況にしたってそう。「これだけは回避できたはずだ」と、後から指摘される点も多い。「では、わかっていながらなぜそうなったのか!?」と不思議に思わずにはいられない。国を、経済を、世界を、ほんのひと握りの人達の欲や見栄が動かしているのか……と思うと、なんともいえない虚しさが湧いてくる。怒りを感じることも多々ある。

そんな状況の中、生まれてきた『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』は、たかが映画、それもアメコミ・ヒーローもので思いっきりエンタテインメント作品。だが、今観るのにとても価値のある作品に仕上がっている。

物語はこうだ。舞台は1942年のアメリカ。第二次世界大戦が起こり、アメリカでは多くの男性が戦争に参加している。そんな中、主人公の青年スティーブも国を守りたいという正義感から兵隊になりたいと志願する。しかしスティーブは背が低い(「あなたも兵士になったつもりで顔を入れてみよう」という看板に自分の顔がはまらないほどの背丈)上、筋肉はどこに? と聞きたくなるほどの典型的な“もやしっ子”。当然、腕力は弱い(例えば映画館で騒ぐ男性に注意したら逆にボコボコにされる始末)。そんな肉体的ハンディのため、何度も徴兵検査にトライしては落ちているのが現状だ。

けれども、捨てる神あれば拾う神あり。何度も落ちながら、兵になろうと挑み続けるスティーブに注目する人物がいた。それがアースキン博士だ。彼は人間の肉体的能力を最大限に高める血清の研究をしている人物で、「スーパーソルジャー部隊」を作る依頼を軍から受けていたのだ。そこで肉体的にはダメ男でも精神的には誰よりも気高い精神を持つスティーブに、スーパーソルジャーになる人体実験を受けないかと話を持ちかけたのだ。

もちろんアースキン博士が選んだとはいえ、“もやしっ子”スティーブに実験をするなんて無駄だと軍のお偉方は反対する。なぜならアースキン博士の薦めで兵役を務めさせてみたものの、肉体的に劣っているスティーブは訓練すべてに哀しいくらいに落ちこぼれてしまうからだ。しかし肉体訓練ではビリッケツでも頭のよいスティーブは、思わぬところで冷静な判断力を見せつける。それは肉体を酷使しまくった訓練後のこと。ポール上部の旗を捕ったものは帰りに上官と共に車に乗せると言われ、兵士たちの多くはポールに飛びつき、誰よりも先に旗を捕ろうと躍起になって争う。しかし結局は、お互いに邪魔をし合う羽目に陥り、誰も旗まで上れない。しかし後から遅れてきたスティーブは、みんなが旗を諦める中、ひとり冷静にポール自体を倒し、まんまと旗をゲット。悠々と車で兵舎まで戻っていく。
またこんなこともあった。それでもスティーブを実験台にすることに反対する大佐のフィリップス(トミー・リー・ジョーンズが好演)は、試しに訓練中の兵士の中にニセの手榴弾を投げ入れてみる。フィリップスの予想では肉体に自信のないスティーブは真っ先に逃げ、他の屈強な肉体を持つ兵士がうまく手榴弾をカバーするはずだった。しかし結果はその逆。投げ込まれた手榴弾を見て真っ先に逃げ出したのはフィリップスが期待した屈強な兵士たちで、なんと残ったのはスティーブだった。しかもスティーブは誰かに怪我をさせまいと死を覚悟で、その手榴弾に体ごと覆いかぶさり、自分の命を持って爆発を封じ込めようとしたのだ。正直、そのスティーブの迷いのない行動には、私自身も感動し、涙が出てしまったほど。こんな彼をフィリップスが認めないわけがない。ついにスティーブは実験で究極の肉体を持つことになる。

優れた肉体能力を発揮することなくピエロ役に徹する

こうしてスティーブは背が高く、隆々とパワーみなぎる筋肉と俊敏さを兼ね備えたスーパーソルジャーに生まれ変わる。しかしその力は人間の域を超えるものではない。例えば走るのが早くなったといっても、新幹線並みの速度で走れるわけではなく、いうなれば陸上選手ボルト並みに走れて、それが長く続けられるというだけだ。力持ちになったといっても、例えば同じアメリカンコミックのヒーロー「スーパーマン」が見せるような、走る電車を素手で止められるとか、そういう類のスーパーパワーではない。もちろん念じただけでものが動くとか、そんな超能力も備わってはいない。あくまでも人間の能力、それも肉体の能力を限界まで引き出しただけに過ぎないのだ。だからたくさんアメコミ・ヒーローは存在しているが、実はアメコミ・ヒーローの中では最も弱い存在だといっていいだろう。もちろん肉体的には普通の人間と変わらない「バットマン」というアメコミ・ヒーローもいる。ただ、バットマンの場合は金持ちという設定のため、装身具も武器も、バットマンカーなどの乗り物もすべて、その莫大な資金を注いで独自に開発。それで、普通の肉体を強力にバックアップしているので最終的にはかなり強いヒーローになっているのだ。それに引き換え、スティーブ=キャプテン・アメリカは置かれている状況が全く違う。特にスーパーソルジャーとなった最初の頃、彼にはそういったスーパーヒーロー然とした武器は何もなかった。

実は、スーパーソルジャーになるまでいろいろあったスティーブは、次にスーパーヒーローになるまでにも紆余曲折があったのだ。実験が成功し、究極の肉体を手にしたスティーブだが、その直後、アースキン博士は暗殺され、スーパーソルジャー計画は暗礁に乗り上げてしまう。博士しか作り方を知らぬ血清が作れなくなり、スーパーソルジャー部隊の編成ができなくなってしまったからだ。つまりたったひとりのスーパーソルジャーでは何の役にもたたないと、フィリップスら軍の上層部が判断したからだ。かくしてスティーブに命じられたのは、完全なピエロになること。つまりアメリカ国旗を象ったコスチュームに身を包み「キャプテン・アメリカ」というキャラクターとなり、国債を集める活動をしたり、軍製作のプロパガンダ映画に出演したりさせられる。その結果、キャプテン・アメリカの認知度を子ども界から大人社会にまで広げるが、その優れた肉体を全く使うことなく生きていくことになってしまう。

並みの人間なら、何のために苦しい思いをして肉体を改造したのかと悩み、「こんなことをしたいわけじゃない」と上層部に文句のひとつもいいたくなるだろう。もちろんスティーブも最初の頃、一瞬ではあるが苦虫をかみつぶしたような顔をする。だが、この自分がやっている行為も、すべては国を守ることに繋がり、正義のためだと、彼は信じて頑張り続けるのだ。

そんな時、現実を突きつけられることが起こる。それはイタリア戦線にいつものコスチュームで慰問に行った時のこと。なんとスティーブは同じ仲間である兵隊たちからバカにされるのだ。彼は身を守る盾を装備しているが(後でその盾は武器としても使われることになるのだが)、その盾が初めて役立ったのは、慰問先の仲間がバカにして投げた果物をよけるためだった。そして彼は改めて自分がいかにピエロだったかを痛感させられることになるのだ。

しかし、自分の友人のいる部隊が丸ごと敵地に捕らえられたと知り、スティーブは自分が友人たちを助けると、敵地にそのコスチュームを着たまま飛び込んでいく。もちろんフィリップスからは止められるが、みすみす仲間の危機を見逃すことを彼はできない。結果、ものの見事に敵陣に乗り込み、捕虜になっていた仲間の兵士たちを救い出すことに成功するのだ。こうしてまたフィリップスに自分の力を認めさせたスティーブは、精鋭部隊を引率する側となり、次々と奇襲など危険度の高い任務をこなしていくことになる。

強靭な肉体パワーを得ながら巨大な悪へと落ちていく

ここまで書けばおわかりのように、スティーブの武器はもちろん素晴らしい肉体ではあるが、その肉体をキチッと操ることができる“精神”、つまりその真っすぐな心とあふれるばかりの正義感こそが最大の武器になっているのだ。そしてそれをわかっていたからこそ、アースキン博士は彼がスーパーソルジャーになるにふさわしいと考えたのだ。本作に登場する悪役「レッド・スカル」は「ヒドラ党(ヒトラーをもじったもの)」のひとりがアースキン博士の血清により変身したのだが、スティーブ同様に力を得たレッド・スカルはその心の醜さからより巨大な悪になってしまった。つまりこれは、どんなすごい肉体パワーを持とうと、それを操る人の心の在り方でよくも悪くもなるということを暗示している。

人間は生きている以上、よい事にも恵まれるが、悪いことも必ずや起きる。大事なのは、最悪な出来事が起きた時、自分は正義の下、責任を持って問題を判断し、対処できるかどうかである。すごくシンプルな話だが、それが結論。スティーブはそうやって頑張ることで周囲の自分に対する目を変え、本当の意味での“英雄(ヒーロー)”となっていった。自暴自棄になってしまう人、責任を転嫁する人はもちろんだが、何もしない人にも無論、よい事は降ってくるわけがない。力を得た人はその力を本当に正しく使わなければ、転げ落ちるだけだ。それは現実世界を見ていてもわかるだろう。ひとりひとりの心がけ。それだけで世の中は変わることを、この映画は娯楽作品として楽しませながら、教えてくれる。誰だって未来に対して不安感はある。だがその未来をよりよいものにできるかどうか、それはすべてあなた自身の選択によるものなのだ。

Movie Data
監督・製作総指揮:ジョー・ジョンストン
原作:ジャック・カーピー、スタン・リー
出演:クリス・エバンス、トミー・リー・ジョーンズ、ヒューゴ・ウィービングほか
(C) 2010 MVLFFLLC. TM & (C) 2010 Marvel Entertainment, LLC and its subsidiaries. All rights reserved
Story
第2次世界大戦中の1942年、スティーブは、各地に進攻するドイツのヒドラ党から祖国を助けたいという思いから入隊を希望。だが病弱だったため入隊を何度も却下されていた。そんなある日、軍が秘密裏に行う「スーパーソルジャー計画」という実験に参加することに。その被験者に選ばれた彼は、強靭な肉体を手に入れることに成功するが……。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』 横暴な行為を続けた人間が、自然界からしっぺ返しを食らう
その惑星を統治していたのは猿だった! ――SF映画の名作『猿の惑星』(68年)の“エピソード0”ともいうべき作品が本作。サンフランシスコを舞台に、アルツハイマー病の新薬を開発中だった製薬会社の研究所で、その実験の影響から非常に高い知性を持ったチンパンジー「シーザー」が誕生。やがて自分の存在意義に悩むようになっていくシーザーは、ある事件を起こし、実験の創始者であり飼い主でもある神経科学者ウィルのもとから引き離され、霊長類保護施設に入れられる。そこでシーザーは、陰湿な飼育係らのイジメに遭い、人間の中で生きることを捨て、この施設に入れられた猿たちと生きていく決意をする。
この映画を観て強く胸に残るのは、人間の横暴さだ。何の罪もない動物に勝手に実験を施し、頭がよいからと勝手に飼い、知性を持ち過ぎたがために悩み苦しむシーザーのことを深く理解しようともしない。いつまでもペットの飼い主気分で応対するウィルの態度には、シーザーに気持ちが同調すればするほどムカついた。そしてシーザーが事件(隣人を襲ってしまう。もちろん理由はあるが)を起こしたら「一緒には住めない」と追い出すしか能がない。こうして、ウィルたち人間は猿たちからしっぺ返しを食らうことになるというわけ。でも現代のように自然を破壊し続け、横暴な行為を続けていたら、人間は間違いなく痛い目に遭うはず。中学生~高校生の子どもたちにぜひ観ていただき、皆で話し合ってほしい作品だ。
監督:ルパート・ワイアット
出演:ジェームズ・フランコ、フリーダ・ピント、ジョン・リスゴー、ブライアン・コックスほか
(c)2011 Twentieth Century Fox Film Corporation

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

最近では新潮社主催の新潮講座で演劇の戯曲講座を2020年4月から開設。

pagetop