教育トレンド

教育インタビュー

2007.01.09
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香山リカ 子ども・親・先生の心理を読む

精神科医として思春期の子どもをはじめ各世代の心理を鋭く読み解く香山リカ氏に、連鎖する"いじめ自殺"や、今の子どもの心を知るヒント、家庭教育力低下の問題について、さらには多忙化と心の病に悩む教員に向けてのアドバイスなど、ズバリ語っていただきました。

子どもの心は対人関係に非常に敏感

学びの場.com昨秋より、いじめが原因と思われる中高生達の自殺が相次いで発生していますが、香山さんはこの現象をどう見られますか?

香山リカこのような自殺が続くのは二つ原因があると思います。一つはマスコミの取り上げ方。マスコミが大きく、しかも自殺の方法まで報道することによって、現在いじめられている子は「こうやったら死ねるのか」、「私も死ねばこんなに大きく扱ってもらえるんだ」、「そうしたら、私をいじめた人達は困るに違いない」などと想像してしまいます。イギリスでは子どもの自殺報道には倫理規定があり、その方法など詳細には伝えません。情報が子どもに伝わると、どうしても連鎖は起こりがち。日本もそういったルールが必要ではないでしょうか。 もう一つは、今の子ども達の“死”に対するイメージの幼稚化。私が自殺未遂をした子ども達に会って動機を聞くと、「自分が死んで、いじめっ子が後悔して泣いている姿を見たかった」とか「化けて出ようと思った」などと答えます。中学生にもなれば通常、死後のことはもう目撃できないだろう程度の認識は出来上がっているもの。ところが、彼らは死を非常にロマンチックにとらえてしまっているんですね。

学びの場.com今の中高生は昔と比べて幼いということでしょうか?

香山リカ私が臨床の場で見る限りは、死に対する認識は遅れていますが、他の部分、たとえばインターネットや携帯電話などは我々中高年より、ずっと巧みに使いこなしていますし、彼らの特徴を一言で「幼稚だ」とは言えないと思います。 それよりも特徴的なのは、対人関係に敏感だということ。自分は今、「相手からどう思われているか」、「相手にどんな印象を与えているか」、あるいは「周囲の人達から何を期待されているか、要求されているか」に過剰に気を配ります。それで、少しでも他者から否定されたり、自分が他者を失望させてしまったりすると、非常に傷つくという傾向があります。 一般に、12~13歳になると「自我の目覚め」が起こり、自分の意見や主張が親や先生の言うことと異なると無性に腹が立ったり、反発したりするものです。しかし今の中高生は、自分の意見が周囲の大人と違った場合、すぐに引っ込めてしまい「そうだね」と合わせたり、「私もそう思う」と素直に振舞ったりしてしまうのです。

学びの場.com自我を抑圧しているのですか。

香山リカそうですね。ただ、それは本人が意図的にやっている場合と、無意識にやっている場合といろいろあります。どちらにせよ、一見素直で大人しく見える彼らですが、本当は言いたいことや考えていることがあり、「これを言ってはいけないのではないか」、「言ったら嫌われてしまうのでは?」と思い込み、表現できないという状況に置かれていることが多いのです。  これはインターネットの世界においても同じ。メールのやり取りや掲示板の書き込みは人とのコミュニケーションですから、彼らは自分がどういうメッセージを発信して、どんなレスポンスを得られるか、他者との微妙な距離感や、その計り具合にものすごく神経を使います。そして、掲示板の何気ない一言を過剰に解釈したり深読みしたりして、傷つき落ち込むのです。このように、彼らの対人関係における繊細さはインターネットによってさらに増幅しているように思われます。ネットが子どもに与える影響として、このことの方が悪い情報を得ること以上に大きいのではないでしょうか。

子どもの表面的な態度を鵜呑みにしない

学びの場.com子ども達のこのような特徴はいつ頃から表れたのですか?

香山リカ単純にいつからと区切れるものではありませんが、モノが豊かになり、90年代に入ってから教育の場では「本当に自分の好きなことを探そう」と、“自分らしさ”や“個性”を尊重するようになってきました。一方で少子化が進み、子どもは“きょうだい5人のうちの一人”や“その他大勢”ではなく、一人一人が特別な存在として大事にされるようになってきました。その中で、子ども自身は「じゃあ、自分らしさってどんなこと?」と自問自答するようになり、「今、私らしく振舞っているだろうか?」とか「私、この人からどう思われているだろう?」というように、他者との関係性を非常に複雑に考えるようになってきたのです。これは90年代後半に入ってからと思われます。

学びの場.comでは、このような子ども達と、教員や保護者はどうコミュニケーションをとればいいのですか?

香山リカ子ども達の表面的な態度をあまり鵜呑みにしないほうがいいでしょう。子どもは「今、こう振舞えば喜ばれる」と、親や先生の気持ちを先読みして行動するケースも少なくありません。子どもは大人よりも対人関係の対処において一枚うわてであることが多いのです。 拒食症や不登校など何か問題を抱えて診察にやってくる子どもの親御さん達は、よく「これまで少しも手のかからない“いい子”だった」、「ずっと素直で大人しい子だったのに」とおっしゃいます。これなども、その子の表面的な日常生活をそのまま信じ「問題のない子だ」と思い込んでいたからです。 子どもが「別に問題ないよ」と答えたとしても、「この子の言う通りなのかな?」、「本当は言いたいことがあるんじゃないかな?」と、ちょっと考えてみたほうがいいですね。思春期であれば大人に反抗したり、自分ならではの意見を持っていたりするものですから、その辺はぜひ配慮してください。

学びの場.comこれほど繊細な子どもの心を、何か潤すものってありますか?

香山リカありますよ! たとえば漫画『NANA』や純愛小説の『世界の中心で、愛をさけぶ』、TOKYO FMのラジオ番組『スクール・オブ・ロック!』など、実に多くの10代の心をとらえています。先生や親御さんは「自分は少女漫画など読まないから」とか「うちはテレビを見ない主義だから、全然知らない」などと言ってないで、我が子や生徒が今どんなものを好きで、何を見たり聴いたりしているのか、もっと興味を持って調べてもらいたいですね。『NANA』が何千万部も売れているのはなぜなのか、なぜ中高生の心をつかんでいるのか、その理由を探るだけでも、今の子どもの心を知るヒントはたくさんあるはずです。彼らの心の琴線に触れるものは、そういった商業的なカルチャーの中に結構あるものです。

今の親子は互いに顔色を窺っている

学びの場.comところで、子どもが対人関係に敏感になったのは、育てる側の保護者や教員の影響もあるのではないですか?

香山リカ現在30代、40代の親世代は、親であると同時に一人の男性・女性として「子どもがいても私らしく生きたい」と“自分らしさ”や“自己実現”にこだわっていらっしゃる方が多いと思います。我が子に対しては親子という上下の力関係で接するのではなく、友達のように接してみたり、時には相談相手として頼りにしてみたりと、対等な人間関係でいようとします。すると、子どもにとって親は「自分を押さえつける怖い存在」ではなく、一人の傷つきやすい人間に見えますから、「この人を悲しませてはいけない」とか「私がこうすれば、この人はもっと喜ぶのではないか」と考えるようになります。結局、親も子どもも対人関係に敏感になっていて、お互いに「嫌われたくない」と顔色を窺うようになっているのです。これが今の親子関係の大きな特徴といえるでしょう。 他方、職場でうつ病を発症する先生が増加しています。これは、昔より今の先生のストレス耐性が低くなっていることも、一つの要因ではないかと思います。同僚に悩みを相談できず、「自分は周りにどう評価されているか」、「相手にどう受け入れられているか」ということが非常に大きな関心事であり、対人関係への配慮に膨大なエネルギーを費やしてしまっている先生達……。先生自身も繊細で傷つきやすいタイプが増えてきているのでしょう。

学びの場.com昨今、家庭教育力の低下が問題とされていますが、香山さんはどうお考えですか?

香山リカ確かに、親の最も大切な仕事は子どもを育てることかもしれませんが、今の時代、これだけ多くの情報や多様なライフスタイルがある中で、「もう親なんだから、他のやりたいことは我慢して、子どもの教育に徹しなさい」というのはあまりに残酷な気がします。またそうなると、意識の高い人達が「じゃあ、私は親にはなれないわ」と子どもをあきらめてしまい、少子化を助長することにもなりかねません。 現代は結婚して親になっても「輝きたい」、「もっと社会に参加したい」という人は大勢います。中には「恋愛もしたい」という人もいますが(笑)。でも、それは決して悪いことだと私は思わないんです。まあ、いろいろな意見もあるでしょうが、一概に「家庭教育力が下がっているから、親がもっとしっかり子育てしなければならない」とは言えない時代になってきているのです。

家庭や学校でない第三の場で子どもを育てる

学びの場.comそうなると、やはり学校教育の場に“育てる”機能がさらに求められてくるということでしょうか?

香山リカいえ、私は「家庭ができない分、学校がやれ」と言っているのではありません。「学校か、家庭か」という硬直化した選択肢ではなく、それ以外の、たとえば地域やNPO、ボランティア団体、あるいは民間などといった“第三の場所”で担っていくほうがいいのではないかと考えます。親や先生ではない人達が、子どもの学力や家庭のしつけなどではなく、社会性のようなものを教える場所をつくる必要があるのではないでしょうか。 私は「できないことは分担する」、「アウトソーシングできるものはする」という考え方です。たとえば、家族全員が食卓を囲み、親の手作りのごはんを皆で語らいながらいただくことは一つの理想型です。それができなくなってきているから、今子ども達がおかしくなっているという意見をよく聞きますが、現実にそんなことを完璧にできる女性はほとんどいません。それをできる人しか親になってはいけないと言われたら、社会で働く女性は皆、子どもをあきらめなければいけない状況になってしまいます。それよりも、たとえ出来合いの総菜や宅配料理であっても、「お母さんはがんばって働いているから夕飯にはこれしか用意できないけれど、一緒にこれ食べようね!」というような、子どもへの心配りを忘れなければ、そういった理想型にそれほど目くじらを立てることはないと思うのです。

 また、学校現場でも昔と違い、専門の教科を教える以外にマネージメント能力を必要とするような業務がかなり増え、先生方は多忙を極めていらっしゃいます。それもうつ病などの心の病を引き起こす原因につながっているわけです。もちろん教職とはビジネスの領域を超え、情熱を傾けてやらなければならない職種ではあります。しかし、時代が変わり、利益や効率を考慮して対処しなければならない雑用的な仕事も要求されるようになってきているのも事実。それは医者も大学教授も同じですよ。 ならば、そういう雑用的な仕事は“オシゴト”と、ある程度割り切って処理していけばいいのでは? そう思えば、嫌な人間関係や面倒くさい作業も深く考えずにこなせるのではないでしょうか。24時間のうち、情熱を傾けるべき所は傾け、そうでない所は “割り切る”。そういう緩急をつける方法を、先生方にはぜひ身につけてほしいですね。ただ、「情熱を傾ける時間」と「割り切る時間」を何対何にすればいいかは個人の問題なのでマニュアル化はできません。考えなくてもいい所は考えず、一生懸命やらなければならない所はやる、というエネルギーの配分をご自分で見極めて実行してみてください。

香山 リカ(かやま りか)

精神科医・帝塚山学院大学人間文化学部人間学科教授
1960年7月1日北海道札幌市生まれ。
東京医科大学卒。学生時代より雑誌などに寄稿。その後も臨床経験を生かして、各メディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍し、時代人の”心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。主な著書に『若者の法則』(岩波新書)、『10代のうちに考えておくこと』(岩波ジュニア新書)、『テレビの罠』(ちくま新書)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎)、『40歳からの心理学』(海竜社)など多数。

写真:言美歩/インタビュー・文:宝子山真紀

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