2005.02.08
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いのち・つなぐ"みんな"展 墨田区と早稲田大学の取り組み

地元の園児や小・中学生が参加し、地域振興・地域交流をはかるイベントは決して珍しいものではないが、<人々の感性を掘り起こす>ことを目的とした墨田区における「いのち・つなぐ"みんな"展」。このイベントまでの、始まったばかりのプロジェクトの経緯を伺った。

墨田区役所外観
墨田区役所外観
 

 人間が本来持っている<いのちを思う感性>を相互に掘り起こすことで、新たな時代に相応する「人・しくみ・もの」を創生していく――産学官民連携をベースに、感性を軸にした環境づくりにチャレンジしている墨田区の自主研究グループ「感性とコラボレーションプロジェクト」。その取り組みをまとめたイベント「いのち・つなぐ"みんな"展」が、1月15~25日の10日間、すみだリバーサイドホール・アトリウム(墨田区役所1F)で行われた。

 墨田区は2002年12月に早稲田大学と包括的連携協定を締結。それを背景に誕生した「超」産学官連携集団―QMすみだ―のメンバーで、現在、墨田区保健計画課に勤務する秋田昌子さんを代表とした墨田区の自主研究グループを核に、早稲田大学地域経営ゼミ、墨田区立文花中学校、同 2学年PTAなどさまざまな人の手によって生み出されたこのイベントは、「いのちの森」と題されたアトリウムの展示を中心に、講演会&墨田区立文花中学校の親子合唱と朗読が行われた「森のささやき」、墨田区立押上保育園の園児と「墨田児童会館お母さんコーラス」によるロビーコンサートと朗読会の「森のひびき」の三部からなる。

1Fアトリウムに設置されたイベント会場
1Fアトリウムに設置された
イベント会場

 
イベント会場(正面)
イベント会場(正面)

 

 地元の園児や小・中学生が参加し、地域振興・地域交流をはかるイベントは決して珍しいものではないが、<人々の感性を掘り起こす>ことを目的としたこのプロジェクトは、単なる通りすがりの地域交流では終わらない。なぜなら、当時、墨田区在住で93年に103歳で他界した斉藤トラさんの家族介護体験というリアル・ストーリーが根幹にあるからだ。この実話に触れると、人々は世代も性別も職業も関係なく、何かを感じ、その何かでつながる輪となっていく。それが形になったものが、まさしく「いのち・つなぐ"みんな"展」なのである。

 今回イベントの代表を務める秋田昌子さんは、斉藤トラさんの孫にあたる。墨田区保健計画課の職員として勤務する傍ら、彼女は祖母であるトラさんの介護体験を、中学校の総合的な学習の時間やヘルパー養成研修会、介護者教室などで長年コツコツとボランティア講演し続けてきた。

「88年に私が地域ケアの研究を始めてまもなく、100歳になった祖母が狭心症で体調を崩し、そのうちに寝たきりになってしまったんです。それまで、保健所や教育委員会、福祉施設の栄養士としてのキャリアもあったし、介護の勉強もしていた私は祖母の在宅介護は私が頑張ると決意していたんですね。ところが、いざ始まってみると、「今まで学んできた知識・技術の前に、老いとどう向き合うか、人間とどう向き合うか、いのちとどう向き合うかが問われ、その自己矛盾にどうにもならなくなっちゃったんです」

 介護に行き詰った秋田さんを目覚めさせてくれたのは、子どもたちだった。
「あるとき、祖母の入れ歯洗いに興味を持った子どもが、きれいに洗った入れ歯を『はめてもい~い?』と言って口に入れたんです。その顔を見て思わずふき出してしまいました。そして、入れ歯がもどってくるのを待っていた祖母の表情はなごやかでした。子どもと触れ合うことで、祖母も私もあったかい気持ちになりました。固定観念でガチガチになっていた私には想像もできなかった子どもの行動と、祖母の反応を目の当たりにして、『ああ、私が変わらなきゃいけないんだ』って思いましたね」

 日に日に物忘れが進むトラさんを、愛らしい存在として受け入れる子どもたち。その自然なコミュニケーションに学びながら、秋田さんはそれまでの自分の価値観が変わっていくのを感じていた。
「介護を知りながら、介護に行き詰ってしまう背景には、人間の価値観が影響しています。問題をクリアしていくためには、自分の意識変革や価値転換が重要なんですよね」

 そこに気づいた秋田さんは、介護者やヘルパーを対象に、自らの介護体験を本音で語る講演会「トラさんが生きた! みんなも生きた!」をスタートする。
「いつも受講後に感想文をお願いしてるんですが、介護の反省や、人間理解、いのちへの感動など、みなさんいろんな思いを綴ってくださって。祖母の介護体験談が、介護の苦悩や虐待予防への意識改革の一助になるかもしれない。そう、徐々に思いはじめたんです」
 


 
秋田さんの祖母トラさんの介護体験をまとめたパネル

 

 週末、仕事の休みを利用しコツコツと一人で講演活動に回る秋田さん。トラさんが亡くなってから3年後の96年、そんな彼女の存在を知った墨田区立墨田中学校の校長先生(当時)から講演の依頼を受ける。

「機会があれば子どもたちにも話を聞いてもらって、その感想を尋ねてみたいとずっと思っていたんですよ。子どもたちには子どもたちの<いのちを思う感性>があるはずです。そこにふれてみたいと思ったんです。でも特別なネットワークもなく一人、ボランティアで話をしていた私が、いきなり公立の学校に『話を聞いて下さい!』ってお願いにいくわけにもいきません。そんなとき墨田中学校から、『ふれあい学習の時間を使って講演しないか』とお声をかけていただいたんです」

 このふれあい学習をきっかけに、秋田さんの介護体験談は、中学校の総合的な学習の時間、道徳、特別活動の授業へとつながり、回った中学校は、墨田区内をはじめ練馬区、杉並区、中野区、江東区、そして神津島と10校以上。昨年までの講演回数は58回を越え、公民の教科書や社会科の副読本にも掲載されるようになった。

  今回のイベントでは、墨田区立文花中学校のPTAで秋田さんの講演に感銘を受けた父母たちや墨田区職員有志とそのOB、産学官連携で知り合った早稲田大学の友成真一教授と地域経営ゼミの学生とそのOBたち、地域の中小企業、福祉施設で働く方々、そしてトラさんを実際に知る人々……。さまざまな人々が気持ちを重ね合い、「夢を形にプロジェクト」をつくり、「いのち・つなぐ“みんな展”」が実現したのだった。

 木をデザインに一枚、一枚、葉っぱのように展示されている文花中学校2年生の感想文。<トラさんもがんばった! 秋田さんもがんばった!><講演を聴いて、いまは離れて暮らしているおばあちゃんと、一緒の家で住みたいと思いました><ボケたくない>……ひとりひとり、その感想はさまざまだ。きれいな字もあれば、乱雑なものもある。でもどんな感想文にもどんな言葉にも、きちんと彼ら自身が存在していて、その存在感の強さにハッとさせられる。

「トラさん~」講演の感想文
 
「トラさん~」講演の感想文
文花中学の中学生による 「トラさん~」講演の
感想文を集めて木に模したもの

 

 

 

「祖母の介護のとき、私の固定観念を覆してくれたのは子どもたちでした。子どもたちは大人には想像もつかない自然で豊かな感性を持っているし、その力が煮詰まった大人の固定観念を変えてくれることもある。そういう見方が、生活のなかにも必要なんじゃないかと思うんです」と秋田さん。

 ある中学校で講演後、それまで気難しそうな顔をしていた校長先生が、生徒の前で涙ながらに自身の介護体験を語り出したことがあったという。

「その瞬間、生徒たちの校長先生を見る目や包む空気ががらっと変わった気がしたんです。先生の涙を見て心が近づいたんでしょう。学校全体がお互いを認め合ってる、そんな感じがしましたね。講演後に生徒たちが書いた感想文を読んで『こいつ、こんなこと考えてたのか』って驚かれる先生もいらっしゃいます。先生が教室のなかで見ている生徒の姿は、ほんの一面にすぎないのかもしれません。固定観念に縛られないこと。これは生活や学校の場でも必要なことなんですね、きっと」

 子どもたちの小さなつぶやきは、普段の学校生活ではなかなか伝わりきらないのかもしれない。でも、小さなつぶやきも、ひとつの大切な意見。子どもたちを<感じて>いれば、つぶやきを聞き逃すこともないのかもしれない。ひとりひとりを相互に感じることから、人が変わる、家庭が変わる、教室が変わる、学校が変わる、そして地域が変わる。人々の<いのちを思う感性>を掘り起こし、意識や価値観のゆらぎを起こす環境づくりを目指す活動は、墨田区で始まったばかりだ。
 

 (取材・文/寺田薫)
 


墨田区&早稲田大のイベントパネル
墨田区&早稲田大の
イベントパネル
イベント会場入り口の看板
イベント会場入り口の看板
秋田さん
秋田さん

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