2017.08.02
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「クレーム」は成長のきっかけ

一学期が終わりました。

通知表を渡した学校も多いと思います。

そういった中で、親からの「クレーム」があることもあります。

今回はその「クレーム」と「教師の成長」を関係させて書きたいと思います。

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

「なぜクレームを言うのか」

親などが教師に対してクレームを言うのは「教師の変化を期待している」からです。

クレーム(意見など)を言う事で、教師が良く変わってくれるだろうと期待しているからです。

その結果、自分の子どもの不利益が減ったり、クラス全体の学びの質が高まったりするだろうという期待があるからです。

もし言っても無駄(教師が変わらない)だと親が思えば、クレームを言ってきません。

できるだけ自分に不利益が生じないようにしながら黙っているはずです。

教師に対して何らかのクレーム(意見)を言ってくるということは、ある部分で好意的に捉えてくれているということです。

そんな風に受け止められるようになると気が楽になりますし、学びも多くなります。

詫びる必要があれば詫び、改善すべき所は改善すれば良いのだと思います。

「クレーム対応でやらない方が良いこと」

親などがクレームを言ってきた際にやらない方が良いことがあります。

それは「言い訳をすること」と「子どもの問題点を指摘すること」です。

言いたい気持ちは分かるのですが、こちら側がそういったことをすると話が混乱してしまうことがあります。

場合によって、親は教育委員会などへ連絡をしたり、法的手段に訴えたりということもない訳ではありません。

以前、私も一度「今後の状況によっては法的措置を取らせてもらいます」とクラスの保護者から言われたことがあります。

クレームを言われたら、こちらがあれこれ言うのではなく、しっかりと聞くということがポイントであろうと思います。

「クレームを先回りでもらう」

私は、小学校の学級担任をしていた頃、クレームを先回りして言ってもらえるように心掛けていました。

この時期ですと、一学期の終わりの頃にある保護者会で親に向けてプリントを出していました。

そこには「一学期に気づいた気になることなどがあれば教えてください」と書いておきました。

渡しながら「自分の成長のためなので、できれば辛口でお願いします」と言うことで更に色々なことを書いてくれます。

また、持ち上がりのクラスの時は、家庭訪問や個人面談の時に前年度に気付いたことなどを聞いていました。

保護者は子どもを通して、間接的に毎日、私達と関わっています。

良く見ている方もいます。

非常に厳しい所を指摘したり、自分が目を背けている部分を指摘したりする親がいます。

薄々自分でも分かっている部分もあり、言われることでテンションは下がるのですが、大きな学びがあります。

本当にありがたい限りです。

「経験年数を経た教員は注意が必要」

30歳から40歳位の「ミドルリーダー」と呼ばれる立場の人は、特に積極的に周りに意見を求めたいです。

経験年数を経てくると、徐々に周りからの指摘が減ってきます。

それは状況が良くなっているからということもあるのですが、それ以上に年齢の関係で「言いにくい」ということが理由である可能性もあります。

年下の同僚が増えてきますし、学年主任、研究主任などの肩書が付くようになると周りは言いにくい感じになります。

そういった立場の人は、積極的に色々な人に自分の至らない点を聞いていくことをお勧めします。

敢えて聞かないと多くの人は言ってくれません。

授業研究会などでも、中堅の人に対しては、皆がいる場(全体会)で講師は厳しい指導はしてくれないことが多いように感じます。

校内での立場を考えてのことです。

授業に関して、当たり障りのないことを話し、学習指導要領の話題など一般的な話題に移っていってしまいます。

そういった状況が多いので、全体会が終わった後に、講師の先生や同僚に個人的に「改善点はどこですか?」と聞いてみるのです。

言いたかったけれども、言わずにいた事を伝えてくれます。

私は研究授業をする度に、そうやって色々な方から指導をしてもらっていました。

その時のメモは私の大事な財産です。

「問題は自分にあると考えたい」

子どもが様々なトラブルを発生させた際、何が悪いと考えるのかという問題があります。

子どものトラブルが発生した際、すぐに誰か何かのせいにする教員がいます。

例えば、小学校であれば、前年度の担任が悪い、親が悪い、地域が悪い、文科省・教育委員会が悪い、管理職が悪い・・・。

大学であれば、学生が悪い、高校までの指導が悪い、入試制度が悪い・・・。

ある部分で当たっているのかもしれませんが、誰か何かを悪者にすることで、自分は悪者でなくなってしまいます。

自分を悪者にしないために周りの誰かを悪者にしているとも言えるかもしれません。

こういった考えでは自身の成長は望めません。

どんな困難な状況であれ、自分ができることをやっていくことが大事なのだと思います。

「自分の至らない部分はどこなのだろう?」「自分は何をすべきなのだろう?」と問い続けることが大事なのだと思います。

小学校の職員室でテストの点数の悪い子どもについて批判を言っている教員を見たことがあります。

「あの子は困った子どもだ」と言ったりします。

その状況(テストでの点数の悪さ)は、その教員の指導の悪さで生じたものです。

指導が適切で、良質なものであれば、子どもはテストで点を取ることができます。

テスト以外の他の問題も同様です。

家庭や地域の批判ばかりしている教員がいます。

若い教員、特に初任者には、そういったことを真似して欲しくないです。

若い頃から誰かを悪者にする発想は自身の成長を鈍くします。

「終わりに」

勿論、今回書いてきたものは相手がある程度まともな場合を想定しています。

余りに理不尽なことを言ってくる場合は、別になります。

個人で対応するのではなく、チームで対応していくことが大事になります。

場合によっては、管理職が前に出て行く必要もあるかもしれませんし、教育委員会と連携して対応しなくてはならない場合もあると思います。

しかし、ほとんどの場合、問題点を外(誰か何か)に求めるのではなく、内(自分)に求めることがこれからの時代の教師に求められるのだと思います。

学校を取り巻く状況は日々大きく変化していきます。

そういった変化に対して「自分は何ができるのだろう?」と問い続けることのできる教師が大きく成長し、また周りからの信頼も得ていくのだと思います。

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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