2015.04.07
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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 落ち目のスターの生き様が胸に迫る名作

今回は、落ち目のハリウッド・スターの生き様が、観る者の胸に迫ってくる名作『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』です。

落ち目のハリウッド・スターを演じるマイケル・キートンのリアル

2014年の映画界を締めくくる最大行事といえばアカデミー賞。そこで作品賞など4部門をさらったのが『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』だ。この作品、実にスゴ過ぎる。
主演のマイケル・キートンという俳優をご存知だろうか。80年代にティム・バートン監督が手がけた『バットマン』シリーズで主演のバットマン=ブルース・ウェインを演じた俳優だ。最初はスタンダップ・コメディアンとして出発し、同じくバートン監督と組んで作ったホラーコメディ『ビートル・ジュース』でその名を上げ、『バットマン』でスターダムに踊り出たが、その後は、着々と映画には出演していたものの、気難しい俳優などという噂がつきまとったこともあり、あまりヒット作には恵まれなかった。嫌な言い方をするならば、最近では“落ち目”のスターという印象が強くなった役者だった。

そんなマイケルが本作で演じた主人公リーガン・トムソンは、まさにマイケル自身を茶化したかのような役どころなのだ。かつて『バードマン』というアメコミの映画化で一世風靡したが、その後の代表作がないハリウッド・スターのリーガン。『バードマン』の続編製作への出演を断り(ちなみにマイケル自身も『バットマン』の続編への出演を断った過去がある)、本格的に演技派として認められたいともがくも、今や映画の話も来ず、金銭的にも貧窮している。そこでリーガンが着手したのが、自ら脚色・演出・主演を務めるブロードウェイの舞台。ここで俳優としての実力を見せつけ、スターとして復活を目論んでいるのだ。

その姿がもろに現実のマイケルの姿と重なっていく。何しろ見せ方がうまい。突然マイケルの後ろ姿が画面に登場するのだが、かつての『バットマン』の頃とのイメージの違いを強調するため、下着のパンツ一枚の姿で、たるみきった老いた身体を披露する。薄くなった頭髪、白髪まじりの髭、シワが刻まれた顔……。過去のマイケルの栄光を知る者にとってはまさに「老けた!!」と感慨を覚えずにはいられないショット。これは役者にとってはかなりの冒険だ。多くの役者はいつまでも魅力的であろうとして、懸命に老いや衰えを隠そうとする。だからこそ多くのスターが美容整形などに走り、シワやシミ取りに必死になるのだ。マイケル・キートンはもともと二枚目系で売りだした俳優ではないが、ここまで自分の醜とも言える部分をガッツリと見せるのはやはり勇気がいったことだろう

主人公の抱える不安、恐怖、悲哀が我が事のよう見えてくる

こんな冒頭で驚きを与える本作が、そこから見せていくのは、俳優ならではの人に忘れ去られる恐怖や惨めさだ。どんなに有名になろうと、どんなに輝かしいキャリアを送ろうと、人気商売にはいつか忘れ去られる、つまり仕事がなくなるかもしれないという恐怖がつきまとう。その心理に迫っていく。
このことは、これだけ不況になった世の中では俳優だけの心配事ではない。フリーで活動しているデザイナーやライターやカメラマンはもちろんのこと、雇用が安定しなくなった現代ではサラリーマンやOL、派遣社員だって、一瞬先は闇という感覚を持ちながら仕事をしている人は多いと思う。そういう不安にリーガンを通してこの映画は切り込んでいく。つまりリーガンの抱える恐怖が決して他人事ではない分、リーガンが何とか自分の名声を取り戻そうともがく姿に、よりシンパシーを感じるような作りとなっているのだ。
その上で必死にもがくリーガンの姿を、時には道化のように活写する。例えばこんなシーンがある。舞台中にちょっと一服したくなったリーガンが、下着姿にガウンを羽織った状態で裏口から外に出てタバコを吸っていると、誤ってドアが閉まってしまう。ガウン姿で必死に表玄関へと回るリーガンだが、その様子をスマートフォンなどで動画撮影されてしまうのだ。それがYouTubeに上げられ、何万回も再生されることに。しかもそれは単なるリーガンのミスなのに、世間からは「そこまでして自分を売りたいのか」と新手のパフォーマンスだととられてしまうのだ。

ちょっと前ならば、スターといえば手の届かない存在だったもの。しかし、これだけ個人がネットを使って自分の考えなどを表現できる時代なってくると、有名人はもの笑いのタネ、恰好のゴシップ話になることの方が多いのは現実だ。そう、この映画は誰もがスマホやモバイルPC等を持つようになった今、ネット社会で多発しているプライバシーの露出問題と、スターを取り巻く環境の変化、ついでに言えば、それらに踊らされるマスコミの馬鹿さ加減をもリアルに描き込んでいく。

そしてそんな世の中に翻弄されていくリーガンがなんとも哀れでならない。本人はただただ必死なだけに過ぎないのに、真面目に自分のキャリア、自分の芝居に取り組もうと思っているだけなのに、その行為が本当に世間に踊らされている哀しいピエロのように見えてくる。

同時に、真面目なものが受け入れてもらえない世界、世界の方が明らかに狂ってきていることをも感じさせる。価値基準がおかしくなってきているこの世の中で、生きていくには、自分も狂っていくしかないのだろうか。この壊れた世界とどう折り合って生きていけばよいのだろうか、考えさせる展開にもなっているのだ。

あらゆる面でスゴ過ぎ! 今観るべき1本

良い映画は様々なテーマ性を孕むものだが、本作はアメコミの映画化だらけになりつつあるハリウッドの現状もガッツリ皮肉る。大人の感覚が幼稚化している現象は、日本だけではなくアメリカにも渦巻く問題なのかもしれない。いや大人の観客が映画館を離れているというべきか。同じ映画で、映画界の今をここまで辛辣に訴える本作はスゴ過ぎる!
しかもそういった様々なテーマ性をリアリティあるものにするために、主役にマイケルを起用し、舞台のバックステージものとして徹底的に臨場感あふれる台詞やストーリーで綴り上げ、仕上げに、広大な宇宙で事故に遭った女性宇宙飛行士の様子を、ワンカットで撮影したように見せて圧倒的な臨場感を創り出した『ゼロ・グラビティ』のごとく、この映画も全編ワンカットかのような映像演出で魅せていく。いやもう切れ目なく続く、ひと呼吸すらおけないような、その展開に一気に釘づけになったことは言うまでもない。

その結果、すべてのテーマ、リーガンの生き様が、観ている者の胸に迫ってくる仕掛けなのだ。一体こんな世の中でどうやって生きていくのが正解なのか。生きるとは何なのか。色んなことを自然と考えさせられていく作品に仕上がっている。

映画に入り込んで見てしまうタイプの人だと、もしかしたらこの作品は見ていて辛過ぎるかもしれない。かなり皮肉に皮肉を重ねた、苦味の利いた映画だが、半面、胸に訴えかけてくるものが相当にある作品なのである。リーガンの体感を自分の体感としてとらえるには、映画館で見るのがベストなのも間違いない。是非ともこれは映画館で、できれば情報をあまり入れないうちに観ていただきたい。様々な賞にノミネートされているのも納得の、今という時代に観ておくべき1本だ。
Movie Data
監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ/出演:マイケル・キートン、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツほか
(C)2014 Twentieth Century Fox
Story
かつてスーパーヒーロー映画『バードマン』で世界的人気を博したリーガン・トムソン。復活をかけてブロードウェイの舞台に演出・脚色・主演で臨むが、出演俳優が大怪我をして降板してしまう。そこで代役に実力派俳優のマイク・シャイナーを起用するが、芝居に関して独特な発想で挑んでくるマイクに、次第にリーガンは精神的に追い詰められていく。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
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ざっと内容を読んだだけでは、SFホラー映画を想像するだろう。パラサイトの不気味な外見を考えても、この作品をなぜここで紹介するのかと、疑問に感じる方も多いだろう。だが、実はこの作品で描かれるのはかなり奥深いテーマなのだ。喰らうために人を殺すパラサイトと、大地を汚し、戦争などで見境なく殺人を犯す人間とでは、果してどちらが悪魔なのか? そんな人間は地球にとって有効なのか?……等、色んなことを考えさせられてしまう。前作では人間に巣くうパラサイトこそタイトルの「寄生獣」と思っていたが、完結編になると人間こそが「寄生獣」なのではないか……という気にすらなってくる展開なのだ。

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映画と教育:子どもに見せたいオススメ映画:『寄生獣 完結編』

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映画と教育:子どもに見せたいオススメ映画:『寄生獣 完結編』

さらに素晴らしいのは、この作品で生命そのものについても考えさせられること。パラサイトの中で最も頭が良い田宮(深津絵里が熱演!) が、母性愛に目覚めていく様、自己を犠牲にしても他者を救おうとする、いわゆる「愛情」に目覚めていく様には、正直涙が止まらなかったほど。

残酷な面も持ち合わせる作品だが、逆に言えば残虐さも人間の一面であり、この映画そのものがそういった人間のあらゆる面を描いたものだったのか……と、度肝を抜かれるような展開になっている。

そしてどんな状況であろうとも、生きるために懸命な生命体は、なんて美しいのかと思ってしまうのだ。

感受性の鋭い中学生~高校生の生徒達にこそ、是非是非観ていただきたいこの作品。原発問題などが起きている今だからこそ観るべき映画に仕上がっている。

 文:横森文 写真提供:東宝 ※写真の無断使用を禁じます。

そしてどんな状況であろうとも、生きるために懸命な生命体は、なんて美しいのかと思ってしまうのだ。

感受性の鋭い中学生~高校生の生徒達にこそ、是非是非観ていただきたいこの作品。原発問題などが起きている今だからこそ観るべき映画に仕上がっている。
監督:山崎貴/原作:岩明均/出演:染谷将太、深津絵里、阿部サダヲ、橋本愛、大森南朋、北村一輝、國村隼、浅野忠信ほか
(C)2015映画「寄生獣」製作委員会

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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