2009.03.31
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『スラムドッグ$ミリオネア』 ストリートから学ぶ生きる力

今回はスラム街で生き抜く子どもたちの生命力と学びを描く『スラムドッグ$ミリオネア』です。

スラム街育ちの不就学の青年がクイズ番組を勝ち抜く

『スラムドッグ$ミリオネア』は今年のアカデミー賞で、作品賞や監督賞など計8部門でオスカーを獲得した。となると何やらそれだけで名作に違いない! と思う人が多いだろう。確かに間違いなく本作は“名作”だ。傑作でもある。でも決していわゆる優等生タイプの映画ではない。むしろ時にお下劣で、時に爆発的で、思わず目をそむけたくなるようなエグいシーンも折り込まれている。全編にインドの気候らしい熱さと、スラム街独特の匂いが漂ってくるような、そんな映画である。

 まずオープニングからして衝撃が走る。なんと映し出されるのは主人公ジャマールの拷問シーン! 殴られるだけでなく、時には失神するほどの電流を流されるジャマール。一体、何事かと思いながら見ていくと次第に状況が掴めてくる。

 ジャマールは、日本でもみのもんた司会で話題を集めたテレビのクイズ番組『クイズ$ミリオネア』のインド版(世界各国で全く同じ形式の番組が作られて放映されているのだ)に出場し、あと1問正解を出せば番組史上最高額の賞金を獲得できるところまで勝ち抜いてきた。

 ところが、何か不正を働いていると思われ、警察に連行されてしまったというわけ。理由はインド・ムンバイのスラム街で育ち、ろくに教育も受けなかった青年が、高等教育を受けてきた医者や弁護士すらも成し得なかった最高額の賞金まで辿り着けるわけがない、イコール「不正を働いた」、と考えられたから。

 本作は、警察で刑事の取調べを受けているジャマールが、自分の出た『クイズ$ミリオネア』のVTRを見つつ、彼の幼少期からの人生を回顧していくという展開で進む。その彼の波瀾万丈の人生がまさにインドの歴史そのものであり、インドを取り巻く様々な社会問題に通じるものとなっているのだ。

生き延びるために悪事に手を染める子どもたち

 なにしろ、彼がまだ7~8歳くらいの時、母親がイスラム教徒だという理由だけで殺されてしまうのである。対立するヒンズー教徒の襲撃に遭って殴り殺されたのだ(世界の宗教戦争の火ダネはこんなところにあるのだろう)。かくしてジャマールは、ちょっぴりズル賢くて自分のことしか眼中にない兄サリムと生きていかねばならなくなる。同じようにすべてを失った孤児ラティカという少女も一緒に……。

 そんな彼らがまず何をするかというと、ゴミ山で多少なりとも金になりそうなゴミを探して売りに出すというもの。映画では決して声高には語られないが、おそらくジャマールとサリム兄弟はこのゴミ山で寝泊まりしているのだろうというのが見てとれる。足にハエがぶんぶんたかろうと気にせず、ボロ布だけのテントの中で寝ている様はすさまじいほどの生命力を感じさせる。

 そしてその後、兄弟とラティカはとある大人たちによって遠くの村まで連行される。無料でごはんを与えてくれるこの大人たちが聖人君子に見える子どもたち。けれどもそんな心優しい大人がいるわけがない。そう、ジャマールたちは子どもであることを最大の武器に、街中で物ごいなどをして金を稼げと命じられるのだ……。

 アジアの貧しい国では、しばしばこうやって子どもたちが金を稼がされると聞いたことはある。でも作りものの映像とはいえ、見ると聞くとでは大違い。なるほど貧しいアジア諸国では子どもたちにいくらお金をあげても、すべて大人に巻き上げられるのも当然だ。

 かくして兄弟は自分たちが遭遇した出来事から必死でいろんなことを学んでいく。大人たちがどんな汚い手で様々な人間から金を奪い去るかを知る。その後、その犯罪組織から逃げた兄弟は、列車で物売りしたり、様々なものを盗んだりして生き延びる。

 傑作なのはインド有数の観光地であるタージ・マハルで彼らが行うこと。外国人の観光客が年間約20万人は訪れるこの町で、観光ガイドが大勢活躍しているのだが、ジャマールはそのガイドになりすまして金を稼ぐ。さらに建物内に入る時は靴を脱がねばならないが、兄弟は外国人が履いている質の良い靴を盗み、それを街中で売って暮らすのだ。時にはジャマールが観光客をクルマごととんでもない場所に案内し、観光をしている間にサリムら仲間たちが数秒でトランクの荷物からタイヤまで盗み出すという荒技をやってのけたりする。

 とにかくお金になることならばどんなことでもする、この兄弟たちの徹底した生き方は強烈だ。もちろん決して褒められることではない。悪事なことばかりをやっているのだから罰せられて当然である。場合によっては殺されたとしても文句は言えないだろう。でもこんな生き方をするのも、結局世の中は“金”で動いているという現実と、そもそも彼らを波乱の人生に落としたのは、宗教の対立やカースト制度が色濃いインドの社会状況があるからだ。

 アメリカのスラム街もそうだが、貧しい社会で育つと、そこから抜け出すには悪事に手を染めることが、最も手短な脱出方法と考えられがちである。兄弟たちもそこに乗っただけに過ぎない。ましてや子どもはそんな簡単には雇ってもらえないわけだし、とにかくどうにかしなければ自分が死んでしまうのだ。そんなどん底からでも前向きに生きようとする彼らの生命力! 今、未曾有の経済危機にある日本では、このままこの状況が長引けば、彼らのような子どもたちが出てこないとも言えないだろう。

何かあればすぐ自殺という手段を選んでしまうような精神的に弱い子どもたちには、この映画を観て生きるとは何か、本当に辛いこととは何かを考えてほしい。世の中にはここまで虐げられても、頑張ろうとするタフな精神の持ち主がいるのだということを認識してもらいたい。

ストリートで生きる子どもたちの“学び”

さらに本作からわかることは、「学ぼうと思えば、人間、どこにいたって学べる」ということ。ジャマールたちは母親が生存していた時は小学校に通ってもいた(あくまでも“たまに”らしいが)。その後は一切学校には行けなかったが、彼らは世界遺産であるタージ・マハルに行き、ストリートでいろんなことを目にし耳にして生きてきた結果、多くの知恵を得ることができた。ジャマールが『クイズ$ミリオネア』で次々に正解を答えられたのは、そういった様々な人生経験から得てきたもののおかげである。実地で学んだからこそ、彼の頭脳に深く刻みつけられたというわけなのだ。

 これも一つの「学び」ではないだろうか。どんな劣悪な環境だって学べるし、自分が吸収しようという意志さえ持てば、すべてが学習の礎となるのだ。ストリートで生きる子どもたちはボーッとしていたら生きてはいけない。だから常に知力も体力もフル活動だ。それが高等教育を受けた者よりも、よっぽど人間力を磨きあげたとは皮肉な話である。

 ちなみに面白い話を聞いた。本作では、登場人物の子ども時代を子役がそれぞれのキャラクターの人生を演じあげた。そのうち、幼少のサリムを演じた10歳のアズハルディン・モハメド・イスマイルくんと、幼少のラティカ役の9歳のルビーナ・アリちゃんは実際にスラム出身で、今もスラムで暮らしている。そんな彼らは30日間の映画の出演料として日本円で10~20万円をもらった。これはなんとスラム住人の年収の3倍にあたるという。しかし、当然ながらこれらの報酬を彼らの親たちが生活のために使ってしまったとか(これが現実なのだ!)。

 そこで映画製作者たちは、少しでも子どもたちに良い教育をほどこしてほしいと生活費・学費・医療費を16歳になるまで全額負担。また子どもたちが有名人になってしまったため、学校まで映画会社が準備した運転手つきの車で送り迎えをするように。さらに子どもたちにもちゃんとした報酬を与えたいと、18歳になったら約1000万円を支給すると約束した(もちろん親は現在の暮らしを変えたいから、今、そのお金がほしいと主張したが、それは却下されたという)。

 まさにこの映画に出ただけで一生が大きく変わったわけだ。それがはたしてこの2人の子どもの人生にどんな影響を与えるのだろうか。スラム出身の彼らはお金の大切さを知っているだけに、きっと大金を無駄に使うことなく、賢く生きていくだろう。しかし教育費を全額出すとは、映画会社も粋なはからいをするものだ。

 その一方、映画で有名になったスラム街を見学してもらおうと、4時間回って日本円では1470円という「スラムドッグツアー」が大盛況になっているらしい。もちろん売り上げの8割はスラム改善に使われるそうだ。人間には自分より低い生活レベルを見学したいという、妙な好奇心や差別意識があるのだろうか。もちろんこれは外国人向けのツアーであるが、そこにホイホイと乗ってしまう観光客も観光客ではないか。そんな現実があるから、貧しい者たちはもっともっと強く生きていかねばならなくなるのだ。

本作は貧しい現実世界を描く一方で、ジャマールのラティカに対する純粋な愛情も描き、とても美しい。現実に惑わされず、愛を貫くジャマールの“純情バカ”ともいうべき行動力に胸を打たれる。また、自分のことしか眼中になかったサリムが、弟をかばおうとするその兄弟愛もより素晴らしく見えてくる。現実と夢、夢と挫折、お金で得られる幸福とお金では得られない幸福……この映画では本当にいろんなことが語られる。しかし最後は、お金は確かに大切だが、お金の前にもっと大切なもの、それは愛であり、ネバーギブアップの精神でポジティブに生きようとする強い意志であることを、痛感させられるのだ。
Movie Data
監督:ダニー・ボイル
原作:「ぼくと1ルピーの神様」ヴィカス・スワラップ
脚本:サイモン・ビューフォイ
出演:デーヴ・パテル、フリーダ・ピント、マドゥル・ミッタール、アニル・カプール、イルファーン・カーンほか
(C)2008 Celador Films and Channel 4 Television Corporation
Story
インドのスラム街で育ったジャマールは、世界的な人気番組「クイズ$ミリオネア」で、あと一問で全問正解という状況にいた。だが司会者に不正を疑われ、 警察に連行され、尋問を受けることに。やがてその尋問から彼の子ども時代の過酷な人生、その中で彼が生き別れた初恋相手ラティカを探していることも明らかになって……。

文:横森文

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子どもに見せたいオススメ映画
『マーリー/世界一おバカな犬が教えてくれたこと』 犬を飼うことから勃発する家族問題
新聞のコラムニストをしている新婚夫婦のジョンとジェニー。彼らは自分たちが子どもを持つ自信をつけるため、犬を飼うことを決意する。ところがやってきたラブラドール犬のマーリーは超おバカ。なんでもかんでも食べたがり、家具を噛みちぎり、散歩もゆっくりできないような状況。そんなマーリーに手を焼きながらも、ついにジェニーに待望のベイビーが。するとマーリーがおとなしくなり……。
ジョン・グローガンの大ベストセラーエッセイを完全映画化したもの。おバカ犬が登場する物語はたいてい、犬に人間が振り回されるドタバタ騒動がメインになりがちだ。でも本作はそういうユーモアを持ちつつも、基本的には犬を飼ってしまった家族のドラマという視点で描かれる。誰もが遭遇する普遍的な子育て問題、ペットを誰が世話するのか問題、さらには仕事と家庭の両立問題……などが、丁寧に描かれ感動を呼ぶ。
子どもたちがこの映画を見れば、子育てがいかに大変で、自分たちが育つのにどれだけ親に面倒や迷惑をかけてきたかがよくわかるはず。また国境や人種も超え、誰もが家族という形を作るのは大変だし、もともと他人同士の妻と夫が、様々な折り合いをつけつつ、暮らしていくことがいかに難しいことかも考えさせられちゃう。この作品を大人たちはより深く味わい、子どもたちは動物との愛情物語として、また自分がいかに家族に愛されているかを知る指針として、それぞれ楽しめるだろう。
監督:デヴィッド・フランケル
出演:オーウェン・ウィルソン、ジェニファー・アニストン、エリック・デイン、アラン・アーキン、キャスリーン・ターナーほか
(c)2008 Twentieth Century Fox

文:横森文  ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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