2015.02.10
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『ソロモンの偽証<前篇・事件>』 “究極のアクティブラーニング”を描く名作

今回は、これぞ"究極のアクティブラーニング"と言える、子どもたちの主体的な学びをサスペンスタッチで描いた名作『ソロモンの偽証<前篇・事件>』です。

ある事件を機に、生徒達に芽生えた自主性の芽

学校という場所は、昔から不思議な所だと思っていた。主軸となるのは明らかに生徒達。しかしそこには必ず生徒達以外の力が介在する。つまり教師や保護者といった大人達の力だ。子どもの世界と大人の世界。異なる二つの世界が一つの場所に共存しているのだ。本作『ソロモンの偽証』もそんな中学校を舞台にしている。自立し成長しようとする生徒達の姿と、その生徒達の世界に大人の世界が介在することの難しさに焦点を当てた作品だ。
物語は一人の男子生徒の死から始まる。警察は彼の死を自殺だと断定。しかし、ある告発文が舞い込んだことから事態は一変する。そこには、「亡くなった生徒はある男子生徒により屋上から突き落とされた」という衝撃的な内容が記されていた。果たして、彼は自殺なのか、それとも他殺なのか。教師、生徒、保護者達、さらには警察やマスコミまでをも巻き込んでいく中、クラスメイトの死に直面しながら、大人達の勝手な配慮で事件の内容を隠され何も真相を明かされなかった生徒達が、真実を求めて自ら動き出していく。

生徒達がどんな行動に出るのかは見てのお楽しみ。一方、生徒達に芽生えた自主性を摘み取ろうとする一部の教師の暴走には、見ていて嫌悪感を抱いた。そして、筆者にも似た体験があることを思い出した。
筆者の中学時代、こんなことがあった。ある日、全学年の生徒が色めき立つ、「学生鞄変更」の議題が生徒会から持ち上がったのだ。私の学校では、学生鞄は全員が同じ鞄を持つように指定されていた。それを「どんな鞄でも自由に持っても良いではないか」という提案がなされたのだ。もちろんこれには理由がある。当時「ロッカーなどに教科書を置いて帰るな」と教師から指導されていたため、生徒は皆、全荷物を重い革製の学生鞄や補助バック(我が校ではサブバックと呼ばれていた)に入れてパンパンにし、手にマメを作りながら毎日持ち歩いていた。こんな重く持ちづらい指定の鞄より、むしろリュックサックなどを使った方が便利だし効率的なのではないか。そんな観点からの発想だった。
この議題は生徒達の関心を多いに集めた。何しろ自分達の生活に対し、大きな変化が訪れるのだ。制服同様、学校側が決めてきたことを、生徒が自主的に変えることができる。これは画期的なことでもある。

生徒達はトコトン意見を出し合った。それまで生徒会の話といえば、居眠りする生徒が続出だったのに、誰も寝るどころか、今までにないくらいに活発に意見が交換された。生徒の誰もが本気だった。そして最終的には生徒全員での投票がなされ、圧倒的な票数で「鞄はどんなものでも良い」という結論に到達したのだった。
ところが、だ。その結果を生徒会が学校側に提出した所、驚いたことに学校側は、簡単に生徒全員の総意を無視した。鞄を変えるなんて無理だと言うのである。おかしいではないか。それなら、なぜ最初から鞄は変更できない、と言わなかったのか? 当然その話はホームルームなどでも盛んに議論されたので、教師も承知していたはずである。しかし、生徒達の話し合いを止める兆候はまるでなかった。最初から鞄を変えない気なら、生徒の望みを叶える気がないのなら、議題が出された時点で止めれば良かったではないか。
結局どうなったかといえば、鞄は指定のまましか許されず、なぜかサブバックだけが何を持ってきても良い、ということになった。そしてなぜ鞄を変えることが許されないのか、それについては一切理由が明かされることはなかった。

自分達で何かを変えられるかもしれないと、意気込んでいた生徒達はこの結果に相当、落胆した。「結局、皆で何を決めても無駄なのだ。どうせ職員会議で潰される」。生徒全員がそういう考えに辿り着いたのだろう。生徒会への関心はもちろん、自主的に何か行動を起こすのは馬鹿馬鹿しいという空気だけが残った。本当に急速に、自主的に何かを行うという熱は冷え込んでいった。

それまで学校側が「もっと自主的に生徒会などに取り組みなさい」と、生徒達に言い聞かせてきたのは、一体何だったのだろう。多くの生徒がこの一件に憤りや矛盾を感じたまま、かといってそれを解決することもできぬまま卒業していった。今でもあれは何だったのかと思う。

未だ目覚めていない大人にも警鐘を鳴らす

私のように、子ども達だけで頑張ろうとしたのに、大人達の判断で潰されたという体験をした人は、恐らく多いのではないだろうか。確かに子どもゆえの暴走ということも現実にはある。大人はそれをサポートして、止めねばならないという発想もわかる。しかし、曲りなりにも、大学の講師として働き、学生達と接してみてわかるのは、子ども同士でしかわからない悩みや、解決できない問題はたくさんあるのだということ。大人達がそういった問題に迷う子ども達を、しっかり指導しなくてはいけない、と考えるのはわかるが、それは一歩間違えると、自分で考えて行動するという最も大切な芽を摘み取ってしまうことにも繋がるということだ。
大人だから、教師だからって、何でも解決できるわけではないだろう。いじめにしてもそうだ。実態は当事者や生徒達にしかわからないことが多い。大人が介入するのは本当に難しいことなのだ。そういった大人でもどうにも対処のしようがない、子ども達の世界があることは確かなのだ。
実はそういう問題には子ども自身が向き合うしかない。様々な矛盾や問題、そういうものと向き合い、自分で色々と考えることで、自主性や自立といったことはもちろん、責任感や他人に対する思いやりなど、大人になるために必要な様々なことを学び成長することになるのではないだろうか。

本作『ソロモンの偽証』にも出てくる、生徒達の自主性の芽を摘み取ろうとする大人達。もっとも、そういう場面があるからこそ、生徒達を応援したくなる気持ちも増した。サスペンス味あふれるストーリーの中に、子ども達の成長物語の魅力をたっぷりと詰め込んだ、その語り口は絶妙。しかも下手したら、いまどきの冷めた中学生達がここまで積極的に行動するか、と違和感を持たせてしまう危険性もあると思うのだが、それを感じさせないあたりもすごい。原作者・宮部みゆきの紡いだ物語の素晴らしさはもちろんだが、『八日目の蝉』の成島出監督の的を射た演出があるからこそ、素直に映画世界に入り込めるのであろう。加えて役名のままデビューする、主人公の藤野涼子を筆頭に、生徒役の子それぞれが卓越した演技を見せる。名作になるには、物語・演出・演技のすべてが過不足なく揃うことが不可欠だが、そういう意味では、まさしく本作は名作と言い切ってもおかしくない作品だ。ちなみに本作は2部構成。第1部を見たら第2部をいち早く見たくなることは間違いない。
あるいは、「今さら生徒達の“目覚め”を描いた作品なんて興味がない」と言い切る大人の方もいるかもしれない。が、この作品は実は、そういう大人達にもしっかり警鐘を鳴らしている。告発文の存在を暴いたマスコミによって学校側への不信感を募らせた保護者達が、学校に集まり集会を開くシーンがあるのだが、女性刑事に告発文が嘘だと思われる点を指摘された途端、集まってきた保護者達は言葉を失ってしまうのだ。これは、ほとんどの人が自分ではしっかりした意見を持たず、周りに流されて集会に参加しただけという証拠だ。子どもの頃に自立の芽をつかみそこねた者の“成れの果て”を象徴するシーンに思えた。
昨今、教育界ではアクティブラーニングの必要性が叫ばれているが、本作で生徒達が行っていることは、まさに“究極のアクティブラーニング”と言えるだろう。彼らのように、流されずに自分の意見をしっかり持つこと。それが誤った道へ進まぬよう、自分を守る唯一の術と言えるのではないか。大人になると、自分の目を見開いて生きているつもりでも、本当の意味で目覚めていない人は多いと思う。そんな怖さまでもしっかり内包し、中高生から大人まで魅せられる作品。教師側にも生徒側にも様々な問題を提議するだろう。本作を見て、皆で話し合うきっかけにするのも良いかもしれない。
Movie Data
監督:成島出/原作:宮部みゆき/出演:藤野涼子、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華、小日向文世、尾野真千子ほか
(C)2015「ソロモンの偽証」製作委員会
Story
1990年12月25日のクリスマスの朝、城東第三中学校の校庭で2年A組の柏木が屋上から転落死した遺体となって発見される。警察は自殺と断定するが、様々な疑惑や推測が飛び交い、殺人の告発状の登場により、事態は混沌としていく。遺体の第一発見者である2年A組のクラス委員長の藤野涼子は、自分達の手で真実をつかもうと決意するが……。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
『くちびるに歌を』

未来へ進むため、自分自身と向き合う

自分と向き合うのはなかなかできることじゃない。何かきっかけでもなければ漫然と日々を過ごしがちになる。それは大人になってからも言えること。忙しい日々に追われるだけで、自分が何のために生きているのかなんて、改めて考える時間を作るのはなかなか難しい。
本作が描いているのは、そんな自分と向き合うことの大切さだ。臨時教員として島を訪れ、合唱部の顧問となる、ちょっとわけありの美人教師と、コンクールの全国大会出場を目指す合唱部の中学生達の交流を描いた青春映画。鍵となっているのは課題曲である『手紙~拝啓 十五の君へ~』の歌詞の内容だ。15歳の自分から未来の自分に書かれた手紙、そしてそれを読んだ今の自分から15歳の自分へメッセージを送るという歌詞が、そのままストーリーに重なってくる。美人教師は「歌詞を理解せずには正しく歌えない」と生徒達に“15年後の自分”へ手紙を書くという課題を出す。自分への手紙というのは、まさに自分自身と向き合うこと。生徒達は自分への手紙という課題と取り組むことで、自分が今抱えている悩みを素直に考え、未来へと進んでいく自分の道を真剣に考える。そして、そういう生徒達の姿を見ることで、大人である美人教師もまた、かつて子どもだった自分と向き合い、過去から逃げずに闘うことを決意し、新たな一歩を踏み出せるようになるのだ。未来を考えるべき中学生~高校生の皆さんにぜひ見てほしい1本だ。
監督:三木孝浩/出演:新垣結衣、木村文乃、桐谷健太、恒松祐里、下田翔大、葵わかな、柴田杏花ほか
(C)2014『くちびるに歌を』製作委員会
(C)2011中田永一/小学館

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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