2011.06.30
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登米市立登米小学校 教諭 皆川 寛 「子どもたちのために『いい授業』を」

第三回は、宮城県の登米市立登米小学校 教諭 皆川 寛さんの執筆です。

宮城県登米市は、南三陸町や気仙沼市をはじめとする被災地へ向かう自衛隊や警察、消防の拠点となっている。朝、学校へ向かう通勤途中、被災地へ向かう何十台もの自衛隊や警察の車両とすれ違う。『3・11』以前には想像もしなかった光景だ。警察車両のナンバーには、「鹿児島」「熊本」「宮崎」「広島」「岐阜」などの文字。全国各地からの支援をいただいていること、そして日本が一つになっていることを実感する。

3月11日(金)午後1時30分、当時勤務していた前任校(登米市立北方小)の児童は全員下校し、教職員は教室や職員室で学年末の仕事や卒業式の準備をしていた。午後2時46分、これまで体験したことのない激しい揺れに襲われる。わたしは3階の教室で仕事をしていたが、いすに座っていることもできず、床に座り込み、大型テレビの脚を押さえ、揺れがおさまるのを待った。しかし、揺れはどんどん激しさを増す。「校舎が崩れるかもしれない……」という思いがよぎった。数分間の激震に校舎は何とか耐えた。校舎内のあらゆるものが散乱し、足の踏み場もない。校地内に地割れが見つかり、学校脇の国道には亀裂が走った。

震度6強だった。すべてのライフラインが絶たれ、学校機能が止まった。翌週から10日間の臨時休業が決まる。職員は、児童の安全確認、通学路点検、自転車での家庭訪問、校舎の点検・片付け、そして学年末の仕事に追われる日が続く。水道、電気、ガス、電話、ガソリンがない状態での業務遂行がしばらくの間続いた。

3月24日(金)、1週間遅れの卒業式。6年担任として、子どもたちの門出を見とどけることができて胸をなで下ろす。

4月1日、年度末の異動で登米市立登米小学校に着任した。「みやぎの明治村」として観光地にもなっている地域だが、教育資料館(旧登米高等尋常小学校)をはじめとした各施設が大きなダメージを受けていた。4月15日、予定よりも1週間遅れの始業式と入学式。2年生の担任となり、36名の子どもたちと出会った。その中には、被災地から転校してきた子ども、家族や親せきが被災したという子どもがいた。この子どもたちのためにどんなサポートができるだろうか、そんなことを考える。
子どもたちは、学校では気丈に振る舞っているが心にどれだけの悲しみをかかえているのか、自分には想像もできない。自分にできること、それは第一に「いい授業」をすること、子どもたちに「力をつける」ことだと肝に銘じた。校庭には、いつもと変わらぬ美しい桜が咲いていた。
先日、2年生の子どもたちは生活科の学習で「町たんけん」に出かけた。学校前の国道は、自衛隊車両が頻繁に往来する。子どもたちは自衛隊車両を見つけると、「ありがとうございます。バイバーイ!」と元気に手を振って頭を下げた。この子どもたちは、登下校中もこうやって手を振って頭を下げているのかと思い、感心した。2年生の子どもたちだって、自衛隊の皆さんがどれだけ過酷な任務に当たっているのか、メディアを通して十分に認識しているのである。

子どもたちがあいさつをすると、自衛隊車両の窓が開いた。子どもたちの大きな声に応え、力いっぱい手を振る自衛隊員の表情は、やわらかく温かかった。自衛隊車両は、被災地へ向けて力強く走り抜けていった。

平成23年6月29日

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