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母の生きざまから多くを学んだ……桐島かれんさんインタビュー

母の生きざまから多くを学んだ……桐島かれんさんインタビュー
桐島かれんインタビュー 桐島かれんインタビュー
桐島かれん(きりしまかれん)
1964年神奈川県生まれ。1986年資生堂・春のキャンペーンガールに選ばれ、モデル活動を開始。1993年写真家の上田義彦氏と結婚。現在4児の母

 
作家 桐島洋子の長女として生まれた桐島かれんさん。ハーフであり、また有名人の子として否が応でも目立つことがコンプレックスとなった少女時代を経て、モデルとして、またロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のヴォーカリストとしても活躍。写真家の上田義彦氏と結婚し、4児の母となるが、子育てを優先しながら、今もモデル活動を続けている。働く女性として、あるいは母親として、間違いなく「女性の憧れる女性」の一人であるかれんさんに、子育てのこと、自分の生い立ちなどをうかがった。

仕事よりは、子育て優先

---最初にインタビューのお願いをした時に、子育て優先でスケジュールを組んでいらっしゃるとお聞きして、同じ母親として、素晴らしいなと思いました。普通は子育てを優先したいと思っていても、そうきっぱりと言うのはなかなか勇気がいると思うのです。私なんかも、いつも仕事も子育ても中途半端だなと悩んでしまうのですが、かれんさんはいかがですか? 4人のお子さんを育てながらお仕事もされていて、両立に悩むことなどありませんか?

私は、モデルの仕事をしていますが、9時から5時までといった時間にしばられる仕事ではなく、普通にお勤めをしている方に比べ融通がきき、働きやすい環境です。子育てを優先して、余裕があれば仕事をするというスタンスではありますが、仕事と子育ての両立は簡単なものではないと実感します。

「保育園に入れてまで仕事を続けるなんて子どもが可哀想」などと、暗黙の世間の声に後ろめたさを感じながら仕事をされている女性は大変だと思います。

子どもを産んでびっくりしたのは「子育てってこんなに大変なんだ」ということでした。授乳、おむつ替え、寝かしつけと、赤ちゃんの世話だけに明け暮れる日々で、自分の時間はまったくなくなりました。赤ちゃんは、動物的本能のかたまりであり、自然そのものです。赤ちゃんと過ごすうちに、私の中の母性的本能が引き出されたのか、「一緒にいたい」という気持ちが強くなりました。相手が動物なら私も動物に帰ろうと、まるで母猿、子猿のように、授乳期の間は、肌身離さず、赤ちゃんをずっと抱っこしていました。抱き癖がつくと言われ、病院でも早く断乳をと急かされましたが、赤ん坊はつねに抱っこされていることが自然で、一歳での断乳は早すぎると感じた私は自分なりにやっていましたね。

----私にも3人子どもがいるのですが、2人目までは死ぬほど大変で、3人目からようやく余裕ができて、子育てが楽しいと思えるようになりますよね。 

そうですね。3人目は孫のようにかわいい。4人目なんて曾孫の気分ですよ。ただ、ただ、かわいいだけ。

----さて、今回は、思春期の子育てを中心におうかがいしたいと思います。思春期の子育ての大変さは昔から言われていることですが、現代の子どもたちはかつての子どもたちよりもたくさんの情報にさらされ、また受験や人間関係などのストレスも、私たちの子ども時代とは比較にならないくらい大きくなっていると思うのです。かれんさんは、そういう危ない時期にいるお子さんにどのように接しておられますか?

子どもが4人もいると、なかなか一人ひとりの細かいことまでは気が回りません。下は2歳から上は小学校6年までと、年齢差がありますから、同じひとつの家庭内に、成長過程のいろいろなステージが同居している感じです。

一番上の12才の娘は、情緒的にも肉体的にもアンバランスな時期にさしかかってきました。自我が芽生え、容姿や成績、家庭環境など、他の子と比較して気にするようになる年頃です。子どもは、楽しくやっているようでも、友達関係、学校、そして家庭内でさまざまなストレスにさらされているのでしょう。そのイライラをうまく表現することが出来ないから、ブスーッとした態度をとったりして、親はカチンとくるものですが、そこは我慢、我慢。とはいっても、子どもの言葉遣いが悪い時など、だめなときはだめ、ときちんと叱ります。そして、なるべく子どもが話しやすい雰囲気をつくるよう心がけています。

それから、子どもに振り回されるのではなく、親が一貫した態度を取る事が大切なのではないでしょうか。家庭は、根っこを張る場所です。グラグラと揺れ動く思春期の子ども達には安定した土台が必要だと思います。

「普通の家庭」に憧れた

----私の場合、自分が子育てをするようになってはじめて自分の親の気持ちがわかったり、自分と親との関係をあらためて思い出したりするのですが、かれんさんの場合はいかがですか? お母さんとの関係はどのようなものだったのでしょう。

私にとっての母親は、父親のような存在でした。仕事をしていたため忙しく、留守が多かったのですが、家にいる時にはピリッとした緊張感を漂わせる威厳のある母でした。父親のいない家庭で、母は働いていましたから、生まれて一週間で私は乳母にあずけられました。家族がそろって住めるようになったのは、4才になってからです。

小学校は、公立に通っていましたが、父親がいないことと、自分がハーフで他の子と見かけが違うことがコンプレックスになっていました。「有名人の子」というレッテルも心地の悪いものでしたね。学校の先生に「桐島の手は水仕事をしている手だな」と言われたことが強く印象に残っています。その言葉に、母子家庭で、皿洗いをして可哀想に、といった哀れみを感じとったからです。毎晩寝る前に、サラリーマンのお父さんと白いエプロンをしたお母さんがいて、というような、いわゆる「普通の家庭」の中にいる自分をあれこれ想像したものです。

小学6年生の時、超多忙だった母が一年の大休暇をとり、家族でアメリカに住むことになりました。それは、大自然の中で子ども達とじっくりと向き合って生活がしたいという母の希望からでした。ニューヨーク州といっても田舎のほうで、アジア人は私たち以外ひとりしかいない、パブリック・スクールに入学しました。アメリカでの生活では、様々なカルチャー・ショックを受けました。中でも、身にしみて感じたのは、人種差別の問題です。
日本の学校でも「外人」などと言われてからかわれたことはありますが、人種のるつぼといわれるアメリカでの人種問題はもっと根深いものです。アメリカ生活の中で肌で感じとった経験はとても貴重なものでした。なによりも、日本から離れることで、日本を外から客観的に見ることが出来たことが良かったです。やっぱり、日本はいいなと思うことがいろいろとありましたから。

その後帰国してインターナショナルスクールに入ったのですが、そこには、ハーフの子や、海外で過ごした自分と同じような子どもがたくさんいて、「私みたいな子が他にもいるんだ」と嬉しく感じました。ようやく自分の居場所をみつけた中学、高校のインターナショナルスクール時代はとても楽しい思い出でいっぱいです。

反抗期、というより親離れ

----多感な時期に、いろいろな悩みや苦しみを抱えていらしたんですね。そういう思いをお母様にぶつけたりすることはあったのですか? 反抗期みたいなものはあったのでしょうか。

母は見事な放任主義でした。学校の成績なんてちっとも興味がなく、習い事もいっさいさせてくれませんでした。塾に行きたいと申し立てても、「学校で勉強しているんだから十分」と取り合ってもくれない強者です。自分のことは自分で考え選択しなくてはと、自立心は比較的早く身に付いたように思います。大学進学の際も、私が勝手に学校を選び、「この学校に受かったから、行かせて下さい」と何事においても事後報告。親が敷いたレールや、親からの価値観の押しつけなどがあれば反発のしようもあったのでしょうが、我が家の場合は、自由を与えられていたので、反抗の仕様もありませんでした。

放任とはいえ、母からはいろいろなことを学びました。それは、母から直々に教えられたことというより、母の生き様から学びとったものです。母はまったく愚痴を言わない人でした。私たちの父親との関係、女手ひとつで子ども3人を育て上げた苦労、育児と仕事の両立と大変なことはいっぱいあったはずなのに、愚痴、泣き言、そして、人の悪口など一切聞いたことがありません。母を通して、世の中には、さまざまな価値観があり、ものごとを多角的に見ることの大切さを学びました。ものごとを一元的に、偏った見かたでとらえがちだった若い頃には、「貴方の考え方も分かるけど、こういう見方だってあるわよ」とつねに視野を広くすることを促すような意見を与えてくれました。

20才になったら家から出て行くようにと言われて育った私は、大学を中退してモデルの仕事を始め、完璧な自立を果たしました。20代には、母と顔を合わせることもほとんどなく、親離れは実にあっさりとしたものでした。

自分はただのOneだと思えるところから始めるべき


4月上旬に、夫であり写真家
の上田義彦氏が撮り続けた
家族写真を1冊にまとめた
写真集『At Home』を出版。
かれんさんが子どもたちの
成長の軌跡をつづった10年
日記も一部紹介されている
そうです。こちらもぜひご覧く
ださい!

上田義彦写真集
『at Home』

<書籍データ>
著者:上田義彦/
日記文:桐島かれん/
デザイン:葛西薫/
判型:B5変型/
ページ数:576P/
価格:4000円(予定)/
発売日:5月予定

<問い合わせ>
リトルモア
〒151-0051
東京都渋谷区
千駄ヶ谷3-56-6
TEL:03-3401-1042
FAX:03-3401-1052
http://www.
littlemore.co.jp/

----これから、4人のお子さんにどういうふうに育って欲しいと思いますか?

子どもに期待は何もしていません。とにかく健康で無事に育ってくれればと願うばかりです。親としてできることは、いずれ巣立っていく我が子が健やかに成長するため、安定した穏やかな家庭環境を与えてやるぐらいではないでしょうか。そうして自分の好きなことを見つけてくれたらと思います。好きなことを仕事にできれば、幸せでしょうから。

私は「自分探し」という言葉が嫌いなんです。自分が何かというのは、他人との関係で決まってくるもので、自分で探すものではないから。
養老孟司さんの本に印象的なことが書いてありました。みんな自分のことをOnly Oneだと思いすぎる、自分はただのOneだと思えるところから始めるべきだと。
「これはしたいことと違う」などと言わすに、どんな小さなことでもいいから、それを続けることで身に付くものがあり、やり続けることが仕事になっていくんだと思います。

私の母は、70才近くになった今もなお、髪振り乱して原稿用紙と格闘しています。仕事をしている母が一番ステキだと子どもの頃から思っていました。やっぱりこの人は書くために生まれてきた人なんだと羨ましく感じます。

写真家である夫も、好きなことを仕事にした羨ましい人間です。でも、ただ、好きなだけでは、仕事なんて続かないものです。どんな仕事でも、重い責任を担う逞しさ、世間に振り回されず個として突き進むしなやかさ、そして、継続するための強さが必要です。子どもたちが逞しく、そしてしなやかに育ってくれたらいいなと思いますね。

(聞き手:高篠栄子/構成・文:堀内一秀/PHOTO:言美 歩)

※思春期の子どもたちの見えにくい心に迫った、学びの場.comのリサーチリポート「子どもたちの見ている世界」もあわせてご覧ください。

 
インタビューの最中に、小さいお子さんがかれんさんを呼んだり、かけよってきて何かを耳打ちしたり。そんなときかれんさんは、一瞬お母さんの顔をしたかと思うとすぐに仕事の顔に。そしてカメラを向けられると、雑誌で見るのと同じあのモデルポーズでビシッと決める。だけどどんなときも自然体。このゆったり感が子どもたちの安心の源かも、と感じました。(高篠栄子)

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