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はてなマークの油性ペン「マジックインキ」のルーツを探る!〜内田洋行のロングセラー文具を大研究!

はてなマークの油性ペン「マジックインキ」のルーツを探る!〜内田洋行のロングセラー文具を大研究!
開発秘話シリーズ--はてなマークの油性ペンマジックインキのルーツを探る!
国内文具店向けポスター
開発秘話シリーズ--はてなマークの油性ペンマジックインキのルーツを探る!
 〈油性マジック〉と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 「油性のペンのことでしょう?」それは一部正解。でもこの〈マジック〉という言葉、いまや普通名詞として使用されがちだが、実はれっきとした商標登録名。昭和28年、戦後復興のさなかにあった日本で、内田洋行が初めて発売した油性ペン「マジックインキ」を指すものなのだ。ユニークな〈?(はてなマーク)〉でおなじみのマジックインキ。いまなお学校・企業の備品として、家庭用文具としてポピュラーなこの商品の歴史を今回はひも解いてみたい。

 

 さかのぼること昭和26年秋。第二次世界大戦に敗れた日本がサンフランシスコ講和条約によって再び国際社会に復帰をはたしたその頃、当時、大阪を本拠にしていた内田洋行の初代社長・内田憲民は、大阪工業会のメンバーとしてアメリカ産業視察団に加わるよう声をかけられた。戦後初の民間外遊といわれるこの視察団、行きは飛行機だが帰りは船という難旅。しかし、〈日本を負かしたアメリカという国を見てみたい!〉と快諾した内田は、約3ヵ月の間、アメリカの主要都市を巡り、たくさんの参考資料と商品見本を収集して12月末に帰国した。
 
 



上:初代社長の内田憲民
下:アメリカ視察に訪れた内田憲民。ニューヨーク ウォール街にて
 年明けて昭和27年1月。大阪国際見本市会館を皮切りに東京・名古屋・福岡・札幌など全国47箇所で催された帰朝報告会で、内田はアメリカで見つけてきた珍しい商品、資料を展示した。そこに並んだのは小型紙綴器(ステープラー)、電動鉛筆削り、プラスチック定規……など、いまとなればデイリーな文具類だが、昭和27年という日用品や食料品にすら事欠く時代にあって世間は大注目。展示会は話題を呼んだ。

 その内田がニューヨークの裏通りの文具店で見つけた一品、それがマジックインキ開発のモデルとなった〈スピード・ドライ〉だった。『ガラスや陶器に文字が書ける』という店主の言葉に惹きつけられた彼が手にとってみると、とても太くて重くて使いづらい。だが、墨汁と万年筆用インキしか知らない当時の日本人にとって、キャップを取るだけで文字が書ける油性ペンは画期的だった。ところが、何にでもサラサラ書けてすごいはずのこのペン、帰朝報告会で意気揚々と披露しようとしたが、長旅での乾燥のせいかまったく書けない……。



昭和28年に発売された初代マジックインキ
なんとかして、日本でも油性ペンを開発できないものか?〉
思いたった内田は、さまざまなメーカーに相談。文房具の新時代を築くこのチャレンジを買って出たのが、「ギター」ブランドで知られる大阪の描画材メーカーで、スタンプパッドを製作していた寺西化学工業鰍セった。『フェルトのパッドからインクを染み出させるスタンプパッドの技術をベースにすれば、何かできるかもしれない』。そうして試行錯誤の日々が始まった。

 当時、ポピュラーだった万年筆インキやスタンプインキは、塗料を水性溶液で溶いたいわゆる「水性」。ところが、作らんとするマジックインキは油性溶液で、日本には未だ存在すらしていなかった。実験に実験を重ねた末、あみ出したのは水溶性の染料を特殊樹脂を混ぜた油性溶液で溶く方法。しかし、次なる関門は、ペンの穂先だった。アメリカから持ち帰ったスピード・ドライの穂先はフェルト製。物質難の当時、素材となるフェルトを入手するだけでも大変だったが、やっとの思いで入手しても今度はインキがうまく上がってこない、柔らかすぎて文字が書けない……。試行錯誤の末、メラミン樹脂に漬けてから焼き固めるという方法がとられたが、難問は続く。インキを溶かす油性溶液はかなり強力で、普通のプラスチック容器では穴があいてしまうというのだ。その結果、ボディはガラス瓶、キャップは塩化ビニールというおなじみのスタイルが誕生した。

  『ガラス、濡れた板、油紙……これまで既成のインキでは書けなかったものに書ける"魔法の"インキだから〈マジックインキ〉と命名しよう!』内田によって名づけられた日本初の油性ペン・マジックインキ(現・大型)は、帰国から約1年4ヵ月後の昭和28年4月、ついに発売された。色は黒・藍・赤の3色。定価は1本80円。日本製文房具の新時代の幕開けだった。


お話をうかがった五條彰久氏
お話をうかがった
五條彰久氏
 「私が内田洋行の入社試験に行ったらね、机の上にマジックインキのセットとA4判くらいの紙が置いてあって、『これでチラシを作れ』って試験官が言うんですよ(笑)。例の?(はてなマーク)がついたマジックインキを見て、『あ、この会社の商品なんだ』って。面白い試験だったなぁ」と語るのは、昭和31年に入社し、その後マジックインキの宣伝を担当した五條彰久氏。

 「昭和28年にマジックインキが発売されたけど、最初は全然売れなかったらしいですよ。サラリーマンの初任給が1万円弱という時代に、1本80円のマジックインキは高価すぎた。でも社長自ら発案した肝いりの新製品、なんとかしなきゃいけない。それから宣伝部はもちろん、全社挙げての販売努力が始まるわけです」

 百貨店にコンパニオンを派遣しての実演販売、木の札に文字を書きそれを水につけて耐水性を見せたり……と、さまざまなPR活動を行うが売れ行きは一向に伸びない。翌29年1月には1本60円に、その3ヵ月後の4月には50円に定価を下げたが、これでも売れない。

 「売れないばかりか苦情も絶えなかったようですね。呉服屋さんが紙に文字を書いて反物にはさんだらインキが染みてしまったとか、キャップをしないまま放っておいたら書けなくなったとか。油性インクの浸透性に対する認識も、書き終わったらキャップをするという習慣も、当時のユーザーにはまったくなかったんです」と五條氏。

 頭を抱える社員たちのもとに朗報が届いたのは昭和30年、NHKの人気番組に出演していた売れっ子漫画家・長崎抜天氏からの一本の電話だった。

 「『マジックインキを使ってみたらとてもいい。だが、おたくは宣伝がヘタくそだ。日比谷公会堂で行う講演会で、マジックインキを使って実演するから見に来い』上司はそう言われたようです(笑)。その会場で長崎さんは新聞紙を何枚も広げて、歴代首相の似顔絵をどんどん描き連ねていったようなんですが、墨汁と万年筆が当たり前だった当時の日本では、いっきに描き続けられるマジックインキは驚きだった。それが新聞で取り上げられたり、街頭選挙速報などにマジックインキが使われるようになったりして、徐々に広まっていったんですね」



海外向けポスター
 その一年後、内田洋行はマジックインキのさらなる市場拡大を目指し、広告・宣伝に力を注いだ。昭和34〜5年頃には新聞、雑誌、TV、ラジオとトータルで展開。ポスターも、国内の文具店向け、輸出用の外国向けとデザインの異なるものを制作した。さらにはダーク・ダックスが歌う『マジックインキの唄』まで登場する。

 「子どもに人気の少年漫画誌にも広告を出していましたね。マジックインキは子どもの手にも持ちやすい形状でしたし、家庭のみならず学校の教具としても最適だったのだと思います。バケツなどの備品にクラス名を書いたり、模造紙はもちろん石や卵に彩色したりね。それまでの文具では不可能だったものに書ける油性という特徴に加え、フェルトの穂先が生み出すマジックインキ独自の四角い文字が、誰が書いても読みやすく書きやすい。それが評判を呼んだんだと思います」
 
 


当時、毎日・朝日・読売・日経各紙に出されていた広告。 積極的な宣伝活動により「マジックインキ」は売れ始めた。

 

 マジックインキの人気は家庭・学校にとどまらない。美容家の山野愛子は髪染め専用マジックインキの開発を依頼、魚市場や鉄工所、さらには乳児の取り違え事件が多発したその時代、産婦人科の病院で赤ちゃんの足裏に名前を書くのに使われたりもした。一気に市場を拡大したマジックインキは、昭和39年発売のラッションペン(細書き・水性)を筆頭に、シルバー、そして山下清画伯の要望で製作したワイド、bV00、マジックチョーク……と年1種のペースで新製品を発表。油性・水性ペン市場で不動の地位を獲得していく。そして発売から53年を経た現在、マジックインキ・シリーズは18種類、160色に及ぶ。

 「ロングセラーの理由は数々あると思いますが、国内で最初に開発された油性ペンであること、クレームに対して細かい研究を重ね、商品を確実に増やしてきたということでしょうね。でもなにより、〈使ったあとにキャップをする〉という文化を生み出したのがすごい。マジックインキは、日本の戦後社会に大きく貢献した商品の一つだと思いますね」と五條氏。
 


細書きバージョンのマジックフエルトペン
 現在の定価は税込126円。サラリーマンの初任給は大きく変わったが、マジックインキの定価は当初80円からわずか46円しか値上がりしていない。昭和から平成へ、20世紀から21世紀へ。その間に、このペンは、いったい何人の子どもに愛され、成長を見守り、そして大切な贈り物の宛名を綴ってきたことだろう。人から人へ、思いを伝える筆記具。内田憲民がアメリカから持ち帰った大きな夢は、いまもマジックインキとともに日本の子どもたちに受け継がれている。

(取材・文:寺田薫)


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