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学生時代、20人程の子供達にピアノを教えていたことがある。ピアノが苦手な声楽専攻の音大生だったから、今にして思えば小遣い欲しさの月謝泥棒のようなものだ。 しかも大半は子供の家に通う家庭教師方式。様々な家庭を覗き見られ、ピアノ教授よりも私の社会勉強の色合いの方が明らかに強かった。
なかでもアメリカ帰りの一家からは彼らが持ち帰った良質のアメリカの生活文化を行く度に賞味させて貰った。 殊に思い出深いのが今の時期、12月だ。 天井まで届く大きなクリスマスツリーの根元に置かれるプレゼントは毎週行く度に1つ2つと増えていて、でもそれらの開封はイヴの晩までの長〜い"お預け"。 「アメリカの友人達との贈り物のやりとりは、軽くて壊れずお互いの負担にもならないタオルの様なささやかな物がほとんど。こうして並べてワクワクし合うの」 いかにも楽しげに語る母親の足元で、小さな女の子2人がワクワクよりウズウズといった顔で包みを撫ぜたり匂いを嗅いだりしている。それがなんとも温か味溢れた光景で 「いつか家庭を持ったら私もきっとこんなクリスマスにするぞ!」 そんな風に将来への夢を強く抱いたものだった。
これも毎年12月のお楽しみの1つ。チョコレートカレンダー。12月1日から24日まで毎日1つずつ小窓を開き、中の一口チョコを食べながらイヴの晩を待つ。辛抱の友?! そして若かりし頃のその夢を、今フランスで実現させて貰っている。 あの女の子達と同様。我が家の子供達もツリーの下のプレゼントを前に『忍』の字をくっきりと額に浮かべ、毎日イヴの夜の到来を心待ちにして過ごしている。 それは「もう幾つ寝ると〜♪」指折り数えて正月を待った幼い頃の自分にも、どこか似ていて懐かしい。
それにしても12年前フランスで迎えた初めてのクリスマスには、身震いするほど感動したものだった。 なにしろアルプスだから雪はたっぷり。周りの"樅の木だらけ"の森は、雪を被って"クリスマスツリーだらけ"。まさに正真正銘の"ホワイトクリスマス"だ。 その上、当時はまだどの家庭でも生の樅の木を飾っていた。 根つきの鉢植えは値も張るが、伐採モノは驚くほど手頃な値段で売られる。逆にその頃、イミテーションのツリーはフランスでは目を疑うほど高価だった。 但し伐採モノは日持ちがしない。だから早くからは飾れないし売られもしない。 クリスマスの10日ほど前になって漸くスーパーの駐車場などで売られ始め、それをズルズルと皆、重そうに引きずって歩いている。行き交う車の後部座席にもプレゼントの山と樅の木が一緒にうず高く積まれていて、まるでトナカイの引くソリみたいだ。
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スーパー前の駐車場でテント売りされる樅の木。 1本1000円前後〜 |
私はそんなフランスの、いかにも"本物"ぽい、クリスマス間際の光景が大好きだった。これもまた「松飾りや鏡餅が年末に賑やかに売られ始めると、さすが本場だなぁと嬉しくなる」そんな風に喜ぶ在日の外国人と似たような感慨かもしれない。
ところがここ僅か3〜4年でフランスのクリスマスも随分と様変わりをした。 まずイミテーションツリーが量産され値段もすっかり手頃になり「毎年買い換える必要がなく便利」「本物は葉が落ちて掃除も手間」と、多くの家庭がそれを購入するようになった(そんな風潮を惜しみつつ、我が家も「長い間飾れるし」と偽ツリーにしているが)。 更には大型スーパーが年々クリスマスフェアの時期を早めていて11月末にはプレゼントの調達をしないと"損をしてしまう"カラクリを次々に展開。大衆はどんどん前倒しでクリスマス準備に追われるようになっている(嘆きつつ、私も12月上旬にはプレゼント手配を済ませている)。
それでも家の周りの"クリスマスツリーだらけ"は12年前と変わらず。"ホワイトクリスマス"の美しさも絶品のまま。 「やっぱり自然はいいなぁ〜」 と、つくづく思う。
3年ほど前のことだ。 クリスマスに限らず生活全般、フランス人も随分と足早な兎に成長しつつある。それを 「亀の国みたいで安心!そう思ってココで子育てを始めたのに。予想外の展開だ」 そう憂いはじめていた私に、近所の同年の女性が素敵な知恵を授けてくれた。 「自然と密接に暮していれば子育てのテンポを誤らない。自然は決して先走らないから」 以来、暮らしの主柱は「自然と常に戯れる」となり、すると四季や自然が見せ教えてくれる実に的確な"間"が、生活に適度な"ゆとり"を与えてくれるようになっていった。 それまで国や社会、教育や世間に奪われていると思い「作ってくれ」「与えてくれ」と訴えていた"ゆとり"。でもそれを失っていたのは、どうやら先へ先へと前倒しに進んでいた私自らだったらしい。
今年の冬はひときわ寒く、寒さに弱い私はつい肩をすぼめ背を丸めて歩いてしまう。 先日もそうして歩いていたら、かの女性に小道で会った。雪降るなかでも彼女は 「暖炉の蒔の燃える匂いが雪に混ざって、この季節ならではの匂いがするよね」 と、犬のように鼻をひくつかせている。 さすがは我が救世主だ。惚れ惚れとした。 その日から私も家々の煙突から立ち昇る煙を見上げ、それが雪と溶け合う仄かな香りを嗅ぎながら歩くようになった。 もう背は丸めていない。
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